《ちょっとだけ 時間のロスに 利子が付き》

 テレビを見ているとき,ちょうど面白いところで風呂に入る順番がやって来ます。終わりまで見てしまえばいいのですが,そうすれば洗濯が遅れて一日の仕事が片づきません。時間は人の都合など斟酌せずにまっしぐらに走ります。
 お天道様と時間は誰にでも公平に与えられています。ところが時間を自分の都合に合わせてしまう御仁がいらっしゃいます。どこにでも「○○時間」と呼ばれるものがあります。あらゆる会合が遅れて始まります。そのくせ終わりの時間が少しでも伸びると非難の目が燃え上がります。そこで会合の案内には始まりの時間を「○○時より」とだけ書いて,終わりの時間が告知されていません。
 学校で始業時間のチャイムが鳴っても,授業に入れるのは5分ほど経ってからです。一日6時間として30分,一週間で3時間を無駄にしています。開始時間とは物事が始まる時間であり,5分前からその態勢に入ることが最低の礼儀でした。休み時間は権利であり,授業時間は義務であると考えて,権利の方を優先しているのでしょう。
 公共的な時間を私物化することは,つきあわされている人の時間をこっそり泥棒をしていることになります。時間には利子が付いていると考える癖をつけないと,知らないうちに社会生活上の負債を背負い込むことになります。
 もちろんプライベートな時間を持つことは大切です。忙しいとは心を亡くすという意味ですから,自由になる時間の一部を心を取り戻すために無為に過ごすゆとりも必要です。せっかく腕にはおしゃれな時計がはめてあるのですから,しっかりと時間管理をすることで,限られた時間を豊かに楽しんで下さい。

(リビング北九州掲載用原稿:99年5月-2)