《つらいとき つらかったねの 一言が》

 どういうわけがあったのか分かりませんが,父親に疎まれて避けられてきた娘さんがいました。やがて拒食症になり,病院に診察に行きました。検査をしても特に悪いところはないということでしたが,とにかく薬を貰って帰りました。その後も症状は好転しません。別のお医者さんに相談をしました。娘さんがそれまでの経過を話したとき,先生が最初に言った言葉は「つらかったね」の一言でした。途端に娘さんは泣き出しました。自分が欲しかったのは薬なんかではなく,その言葉が聞きたかったというのです。それまで誰も自分の思いを受け止めてくれようとはせず,ただなんとかしなければという対処ばかりにとらわれていたそうです。
 世のお父さん方はお母さんたちに,「子育てに協力してくれない」と詰め寄られています。仕事で忙しいことは分かっているだろうと,お父さんは口の中でつぶやきます。しかしそれを声にしたら,「私だって遊んでいるわけではない」と反撃されてしまいます。あれこれ子どものことを話しかけられたら,黙って聞き取り,「大変だったね」と労をねぎらうことから始めてみてください。そして最後に「大丈夫,後には私がついている」と宣言して下さい。それだけでお父さんへの風当たりはかなり弱まるはずです。
 もちろん母親による子育ての肉体的な労力を分担することも必要ですが,母親の精神的な疲れを吸い取ってあげることが大切です。助け合うという行為には共感する作用が不可欠です。人は「私のことを分かってくれている」と思ったとき,その相手を信頼することができます。
 私のつらさを誰も分かってくれないと思うとつらさは倍加しますが,パパだけは分かってくれていると信じられれば,つらさは半減するものです。

(リビング北九州掲載用原稿:99年7月)