《静けさに 浸る夜長と 虫の声》

 食パンにはなぜ食の字がわざわざくっついているのでしょうか。雑誌の雑という字は気にすれば気になります。少子化になったと言われていますが,それでは昔は多子化だったのでしょうか。ことさら多子ではなかったでしょう。言葉は背景になる地との違いを表わすものです。
 毛利家に三本の矢という逸話があります。一本ずつでは容易に折れる矢も三本束ねると折れなくなることから,毛利家の三兄弟も仲良くしなさいという元就の教えです。この逸話の背景をのぞくと,毛利三兄弟は日頃仲がよくなかったから,親に諭されたことになります。仲がよければ,あらためて教示する必要はないからです。
 言葉の地に目を向けると,新しい視点が生まれます。リンカーンは「神様は平凡な人が好きなんだ。だから平凡な人を最も多く創造された」と語っています。もちろん英語ですが。多数派は普通と意識され地として背後に埋没するので,うっかりしていると見逃してしまいます。図は地を見ることで意味を読み取ることができます。虫の声が聞こえるということは,辺りが静かだということを意味します。
 子どもが親の創り出した家庭という地になじんでいると見えなくなり,しつけの出番はありません。にぎやかな家庭で子どもが元気よくしていると目立ちませんが,沈んでいると「どうしたの」と気づきます。地から浮き出たからです。こうして子どもは親に似るように育てられていきます。もしも家庭という地が空白になっていたら,子どもは透明な存在としてしか育てなくなります。子どもの期待像とは,親自身が普段見せている地への課題なのです。闇夜のカラス,雪原のウサギといった地と図の関係です。
 地が出たと言われるときがあります。人は誰でも自分の地を持っています。育った家庭という地です。親は子どもにどんな地を用意しているでしょうか。

(リビング北九州掲載用原稿:99年10月-1)