《お付き合い ねじれ見えない コードレス》

 休日の午前中はお掃除タイムです。掃除機かけからクロスかけまでが私の担当ですが,いつも受話器のコードがもつれているのに出くわします。連れ合いの何気ない仕草の結果ですが,取ってそのまま置けばねじれるはずはないのに,どうしてこんなになるのかと不思議です。コードレスフォン型にすればねじれる心配はなくなりますが,通話電波が外に漏れ出ていきますので盗聴に注意しなければなりません。もっとも人様にはつまらない会話ですが。
 子どもと大人,夫婦のそれぞれが個別な生活時間で暮らしています。家庭での時間がバラバラになり,どうしても出会いが疎遠になります。関わりが少ない分トラブルもめったに起こりません。一見するとお互いにうまくいっているという錯覚を持ちます。人間関係がコードレスになって見えないだけで,実のところ絆はねじれているのかもしれません。自分がつながっている外の話を持ち込むだけではなくて,親子,夫婦の間に共通コードを持っていますか。
 コードがあると面倒ですが,そこに生活のありようによって生み出されるねじれが浮かび上がります。例えば,家族と食事を共にするという暮らしのコードがつながっていれば,ねじれは小さいうちに見つかり修復できます。寝る前に本の読み聞かせをするコード,仕事から帰ったらとにかくすぐに抱きしめてやるコードなど,具体的なコードをつないでおけば,お互いに安心できます。
 人間関係に不安が兆すのは,コードレスになってねじれが見えないときです。ねじれることから逃げていては,いつまでも不安の縁から逃れられません。お互いが小さなねじれを許す余裕を発揮すれば,仲は深まっていきます。ねじれは機会を見つけて解きほぐせば済みます。あわてず,焦らず,当てにせず。

(リビング北九州掲載用原稿:99年12月-1)