《母さんの 明るい声で ボク元気》

 書き言葉と話し言葉には意味の違いが発生します。狂言役者が舞台での語りについて講話をしている中で,こんな指摘がありました。「私はあなたを愛します」という3単語の文章は,書けば平板です。話すときにはアクセントが付きます。私がを強く言えばあなたの思いはどうであっても私はという意思表明に,あなたをにアクセントを置くと他の誰でもなくあなたを選択したという覚悟に,愛しますを強調すれば一緒になりたい気持ちの発露になります。狂言の舞台ではその違いを生かして表現することに努めているそうです。
 自筆するときには濃いめにしたり大きめにしたりといったグラフィック的手法を取り入れることができますが,このコラムのような一定の活字ではかないません。前後の文脈から読みとってもらうという技が必要になります。言葉尻をつかまえるという無粋な読み方がありますが,それは読者が文脈を越えて自分のアクセントを勝手に適用することです。面白い文章とは,その曖昧さを利用します。
 話し言葉ではアクセントの異なった郷土言葉を耳にすると,とまどいが生まれ違和感が湧きます。情報の混乱が起こるからです。言葉の調子はコミュニケーションにおける大切な情報です。
 赤ちゃんの泣き声の調子からお母さんはたくさんのことを聞き取っていました。子どもは「お母さん」と呼びかけるたった一つの言葉にさまざまな思いを託しています。面倒がらずにいつもきちんと声の調子を聞き取ってやって下さい。子どもはお母さんから名前を呼ばれたとき,その呼び方で母親の気持ちを敏感に感じ取っています。会話の大切さは,言葉に乗せられた気持ちの通い合いを意味します。母親の言葉が優しくてもイライラした声では,子どもは安心してお母さんにすがることができません。話し言葉は気持ちを道連れにしています。

(リビング北九州掲載用原稿:99年12月-2)