《この寝顔 きずなが少し ほどけかけ》

 連れ合いと話しているとき,冗談交じりに「お互いに飽きもしないでよく続いたね」と笑い合うことがあります。二人の間にどんな絆があったのでしょうか。手がかりとして絆という字は糸が半分と書くことを取り上げてみます。半分の糸ですから用を足しません。もう半分の糸と結び合うことが必要です。自分が半分であると自覚し,夫婦として一本になるものと覚悟しなければなりません。結び合うという意志をお互いにいつも失わないことが大切です。
 結び合うためにはまっすぐの状態では不可能です。曲がりくねって絡み合わなければなりません。ただ片方が曲がるだけではすぐに解けてしまいます。お互いが同じように自分の糸を相手に向けて曲げなければなりません。相手に求めるばかりで絆が作れないのは,この絆の基本形を見失っているからです。
 それでは絆である糸とは何でしょう。芯になるのはやはり愛という細い糸でしょう。それは相手を思うということで現れます。リビング新聞ネットで募集した家族川柳で共感を得ている作品の共通点は,どこか自分勝手さや自己主張をにじませている点です。夫婦も同じですが,相手を利用してやろうという軽い気持ちが,あるはずのない家族の間に見えてしまう自虐をユーモラスと感じています。絆はその裏に潜んでいます。大賞を得た川柳「かあさんの食べたいものが晩ごはん」は母さんが読み人だから笑えます。これが父さんの読んだものであれば,連れ合いを温かく見る絆が感じられます。
 相手の幸せを優先することが絆の本質です。この順序が逆転すると絆はほころびます。単なる自己犠牲ではなく,自分の幸せのちょっと先に相手の幸せを置いておくだけでいいのです。二人でいると安心できるとき夫婦の絆は結ばれていますが,油断は禁物です。

(リビング北九州掲載用原稿:99年12月-3)