《いなければ 夫と妻で 意味が逆?》

 今,結婚する二人は「幸せになろうね」と言い交わします。だから結婚してちょっと不都合が起こると「約束が違う。私は不幸せ」と破綻します。かつては違いました。「二人で一苦労しよう」と結ばれました。だからちょっとでもいいことがあると「約束が違う。幸せ」と深く結ばれていきます。出発点が大きく変貌しています。
 暮らしが個人で完結すればするほど,夫婦になることのメリットは薄れていき,かえって不自由さだけを感じることでしょう。年輩の夫婦で旅行に行くときの相手としては,夫は妻を選びますが妻は友人を選びます。旅先まで世話するのは嫌ということだそうです。憧れをもって語られている自立した夫婦とは,最終的にはお互いを必要としない夫婦になることなのでしょうか。
 フロイトが「豊かな社会では家族は崩壊する」と語っています。家族とつながっている必要性がなくなるからですが,同じことが夫婦についても言えます。さらに豊かさの中では妊娠する能力が低下するそうですが,必然的にそのための欲望も減退するはずです。貧しい環境では子孫を残そうという本能が発動するようになっている摂理が,逆に制動として現れます。夫婦の成立には根元的にマイナス要因です。割れ鍋に閉じ蓋という求め合いが消失しています。
 ミレニアムという言葉に何らかの必然性があるならば,先のミレニアムは平安時代です。枕草子や源氏物語が登場しようという頃です。夫婦の形態は通い婚でした。今の暮らしは当時の貴族以上の生活レベルですから,もっと伸びやかで優雅な男女関係が登場するかもしれません。それがはたして望むに値する夫婦像であるかどうかは,古典をひもとくことで明らかになるでしょう。歴史は繰り返すという言葉によれば,やがて貴族は没落していきますが。

(リビング北九州掲載用原稿:99年12月-4)