《息を抜き つらい思いは 風に去る》

 「赤ちゃんを産んだ母親は幸せ」と思いこまれる美しい母性神話に,女だから「子どもがかわいい」とは限らないとつぶやいて,子どもに振り回され「自分は何をしているのか」と迷いながら,社会人・女として認められたい思いを絶ちがたく,キャリアが途切れるイライラをついつい子どもに向けてしまい,子どもの寝顔に母が自らの母性欠落を責め悩むとき,「夫はいったい子どものために何を捨てているのか」と考え込んでしまう。できの悪い子を受け入れる社会がないために,どうしても「よい子を育てねば」という強迫感にさいなまれるが,初めての子育てでは情報過多の中で比較し混乱が増すばかりで,家に誰もいない絵,自分さえもいない絵を描く子どもを前にして,孤独な母子は押しつぶされそうになっている。思い返せば,女の子は仕事を楽しみキャリアをつけるという意味では「父親になれ」と育てられてきたのではなかったか。父親は急には母親になれないのである。以上の文面は昨年の9月に放映されたあるテレビ番組で語られたことを私なりに文章としてまとめたものです。
 夫婦げんかの種の第一は「子どものこと」という調査結果がありました。邪魔にされて「おまえがいるばっかりに」と疫病神扱いを受け,「お母さん,捨てないで。これからも育ててください」とひたすらに懇願するしかない子どももいました。「大事なものは弟や妹」と答える東南アジアの子どもたちに対して,「大事なものはゲームのソフト」と答える日本の子どもたちはどれほど心の貧しさを露呈しているのでしょう。身震いするほどの恐怖を覚えます
 結婚が人生の墓場なら,親になればさらに地獄落ちという様相です。かろうじて思いやりという名の細い糸がパンドラの希望をつなぎ止めています。ほんの数歩脇にある深くて暗い淵にご用心。

(リビング北九州掲載用原稿:00年1月-2)