《隠された サインが見えず 叱られる》

 暮れの大掃除の折りにリビングの蛍光灯を更新しようと買いに出かけました。選んでいると箱に書かれたリビング用という字が眼について白色から橙色に変えてみました。点灯してみると子どもたちはおかしいと言いましたが,確かに赤い灯りが強く印象づけられました。ところが今ではすっかり慣れてしまって何も感じません。
 妻の髪型や装いなどの変化を気付かないで叱られる夫が,夫婦関係に無関心な夫の定番になっています。お出かけの前に日替わりの装いに余念のない妻につきあっていると,かえって変化することに慣れてしまい見えなくなります。幸いなことに連れ合いは「髪を短く切ってきます」と告げて出かけ,帰ってきたら「どう?」とわざわざ見せにやってきます。ですから気付かないことはあり得ません。内緒で変身して連れ合いが気付くかどうか試そうという意地悪はしてくれませんので,助かっています。
 連れ添うというのは横並びの体勢ですから,当然二人とも前を見ています。そばにいる連れ合いは見えません。でもふっと横を見るとそこにいつもいます。向き合いたくなったらつないでいる手をぎゅっと握って合図を送ればいいのです。寄り添うとはつないでいる手がはずれてしまわない距離を保つ気配りを意味します。
 子どもたちが追いつめられて苦しんでいるとき,なぜもっと早く親にうち明けなかったのかという悔いがわきます。何らかのサインがあったはずだと叱られますが,それは後で思い返せばあれがサインだったのかと気付くようなかすかなものがほとんどです。
 感受性を研ぎすますことはもちろん必要ですが,自分の思いを分かってもらえるような上手な情報発信のしかたを手に入れることも大切です。伝わるように言わなければ相手には分からないのです。

(リビング北九州掲載用原稿:00年2月-2)