《熟年を 迎えた夫婦 惚れ直し》

 夫族の落ち着ける場所は一人ではいる風呂場だそうです。それでも旅行に行くとき夫は妻と行きたいと思っていて,勝手です。もちろん妻の方は,旅先まで夫の面倒をみるのは嫌だと,友人と出かけます。飛行機に乗るとおしぼりを渡されますが,昔は通路側の妻が受け取り,やがて通路側の夫が受け取るようになり,最近は別々に受け取るそうです。自分のことは自分でというしつけが染みついています。してやらなければならない理由がなければしないという薄情さを感じます。
 休日に一人パソコンに向かっているとき連れ合いの気配を感じ,合間に連れ合いとお茶を飲んでいると落ち着きます。連れ合いが友人と旅行に出かけるときもありますが,疲れて帰ってきます。夫婦二人で行く方がいいと言います。夫婦の車での旅路では助手席で寝ているだけで,全く気遣いしないですむからなのでしょう。
 若いときは「幸せかい」と語りかけると,「幸せよ」と返ってきます。「あなたは」,「ぼくだって」と確かめ合って微笑み交わしています。熟年世代には照れくさくて言えません。「幸せだね」,「幸せですね」という会話が似合うようになります。お互いを気遣う向き合った関係ではなく,連れ添う一つの夫婦関係しか持ち得ません。連れ合いの喜ぶ顔が見たいという願いが熟したときに現れてくる香しい結びつきです。
 割れ鍋に綴じ蓋とは,苦楽の共同生活に二人の命を使い込んだ夫婦の姿です。イイとこ取りで他人のために余計なことはしようとしない自分にスナオな生き方をする人には,バカみたいに思えることでしょう。結婚は足かせと忌避する声を聞くと,最高の幸せを封印する心の鎧を感じます。素敵な熟年夫婦がいっぱいいるのに。

(リビング北九州掲載用原稿:00年3月-3)