《若者に 生きる喜び 残さねば》

 ご隠居さんという言葉からは,悠々自適な暮らしが連想されます。子どもが一人前になると身代を譲って四阿に引きこもり,市井の文化の担い手になっていました。
 長寿社会ではご隠居暮らしは夢になりました。子どもが一人前に育っても譲るわけにはいきません。親自身の生活がまだ長期間残っていますし,子どもも跡を継ぐ気はありません。親のものは親のものです。そこでせめてもの親心から,子どもに新しい人生を生き抜く資格を持たせようと,卒業証書の獲得に駆り立てます。親がしてやれることはそれくらいしかないからです。その意味では学歴社会とは親にとって大変分かりやすいシステムでした。
 ところが生活のテクニックの獲得を求めるあまり,生きる喜びを仕込む暇がなくなって,次世代と向き合うと何とも理解のできない仕儀に陥ってきました。こんなはずではなかったと思いたいのですが,実のところ浅はかであっただけです。所詮人知はミネルバのフクロウのように後知恵なのです。ならばと開き直り,反省の道を歩めばすみますが,その余力は親世代には残っていません。できることは学歴社会などぶち壊し,清々することでしょう。後は野となれ山となれ。次世代がどういう世の中を構築するか,高みの見物をきめこみましょう。してやるだけのことはしてやったんですから。
 せっかく授かった余生です。大いに楽しみましょう。でも,いったい何をしたらいいんでしょう。温泉につかってのんびりしても,せいぜいふやけるだけです。美味しいものを食べあさっても,もたれるだけです。もの作りを手がけても素人技の作品など貰い手もなく,手狭な部屋には収まりきれなくなるだけです。若者に違和感を感じるのは,親世代が真正な文化を忘却したせいだったようです。
 クラーク博士が言い残しました。「少年よ,大志を抱け。この老いぼれのように」。長寿社会には,大志が蔓延する社会,次世代に何を残せるかをテーマとする生涯学習社会を期待しています。 【完】

(リビング北九州掲載用原稿:00年3月-8)