|
【何か変では?】
「少年よ大志を抱け(Boys, Be Ambitious)」とはクラーク博士の言葉として有名です。実はこの言葉には続きがあるそうです。「この年寄りのように(like this old man)」。若くはない自分でも志を抱いているのだから,若い君たちはなおのこと,という気持ちであったのでしょう。かつては,年配者から若者に厳しいけれど温かいメッセージが伝えられていました。大きく言えば,生きる核となる文化の伝承が途絶えていたことに,今の世情の不都合な面がつながっています。
健康に関して「腹八分に医者いらず」という言葉があります。この言葉にも続きがあります。「腹六分で老いを忘れる」。育ち盛りは八分まで,育ち終えたら六分でいいという知恵です。飽食の時代,食べ過ぎてメタボリック症候群というのでは情けないことです。自然に生きている動物には無駄に食べて肥りすぎはいないことを考えると,われわれの食生活は不自然なものであると反省すべきでしょう。
ところで,八分というと村八分という差別の言葉があります。人のつながりが希薄になっている現状をなんとかしようと願うとき,昔の村にあったつながりを再興しようと考えることがあります。村にあったつながりは,火事,水害,病気,旅立ち,普請,誕生,成人,結婚,葬式,法事のときでした。全部で10個の共同生活がありました。このうち火事と葬式の二分は残して,後の8個を拒否するのが村八分でした。完全拒否ではなかったのです。今の暮らしに当てはめると地域でいざという場面で助け合うものはほとんど無く,村十分という状態です。
「一姫二太郎」という言葉があります。第一子は女児で第二子が男児であることを言います。女児の方が生きる力が強く育てやすいので,初めての子育てにはよいということのようです。もう一つの意味合いがあります。かつて家制度の中では,男児誕生が望まれていました。その雰囲気では女児を産んだ若妻は肩身の狭い思いをすることになります。そのとき「一姫二太郎」がいいのだからと慰めていたのです。最近アジアの国々で男児出生率が不自然に増加しているそうです。出産前に性別が分かるので産み分けがされているということです。姫の生まれたかったのにという泣き声が聞こえてくるようです。
(2007年11月15日)
|
|
|