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【第2章】行動の青信号
2.2 社会のルールをしつけるためには,どんな言葉を教えるべきですか?
豊かな社会のはずなのに実感が伴わないという声がありました。豊かさを好きなものが手に入ることであると考えているなら,それはテイクの豊かさであって,際限なく肥大し続けます。闇の世界の豊かさですから,心の平安は得られるはずがありません。清貧であれという解決策はテイクの放棄を求めますが,それだけでは心豊かさに至りそうもありません。その原因は,テイクをやめることは何もしないことでありただ止まっているだけで,その意味が見えて来ないからです。生きるとはなにがしかのテイクを必然とする以上,生きる希望までも封止しかねません。
真正の豊かさとはギブする行為に連結するものです。ギブできる社会が心豊かな社会なのです。ギブしようとすることにより結果としてテイクが抑制され,欲望充足の不足分がギブの感動に昇華するのです。
人が暮らすコミュニケーション世界では,「アリガトウ」という言葉は美しい言葉として多くの人に認知されています。ただこの言葉は待ちの言葉であることが忘れられています。人間関係は二人の人間によって成り立ちますが,アリガトウは後から言える言葉です。先に言う言葉は「ドウゾ」です。ドウゾと言われてはじめてアリガトウと言えるのです。重要なことはドウゾがギブするときの言葉,アリガトウがテイクするときの言葉であるという事実です。ドウゾとギブすることから表社会での人間関係は始まっています。
改めて断る必要はないかもしれませんが,何をギブするかという問題があります。ギブするのは相手の喜びです。「ドウゾ」には相手を喜ばせようとする意図が込められているからこそ,人間関係の最も大切なパスワードになるのです。
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