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【第2章】行動の青信号
2.3 テイクの眼鏡とギブの眼鏡で,他者はどう見えますか?
援助交際をして補導された女子が「相手も喜んでいたし,お金も貰えた。誰にも迷惑をかけていない」と開き直ったときに,大人は有効な説得の論法を持っていないことに気づかせられます。確かに先にギブしているので,形としては社会生活上の不適応さは見えてきません。かろうじて手がかりとして「自分の身体は大切にしなければ」と説得を試みても,「自分の勝手でしょ」と拒まれると,二の句がつげなくなってしまいます。形式的には問題はなさそうですが,ギブが自己のテイクの手段にすり替わっていることに大人は不純さを感じ,さらに取引すべきものではない若い性を取り引き材料にしたことが気がかりなのです。ギブ行為とは手段ではなくて,目的そのものでなければなりません。性行為は愛というギブ目的があってこそ人間行為になりうるのです。
他者を尊重するという面について考えておかなければなりません。テイクの立場から見える他者は利用すべき人です。いじめにおいてはいじめられる者を決して放逐せずにグループの外周に縛り付けていますが,利用すべき標的として必要だからです。ひったくりも相手が怪我をするかもしれないという人間的な思いやりをかけることなく,ただ金品を運んでいるカモとして利用しているだけです。自転車盗では自転車しか見えずに気軽に実行されていますが,持ち主という他者を想像することができていません。援助交際でも相手は利用できるお客なのです。他者を尊重することはテイクに逆らうことになるからです。テイク優先が闇の理念であるのは,人を人とも思わなくなるからです。
ギブの立場から見える他者は,大切な存在になります。少なくとも対等な関係が意識されるはずです。駅前に並んでいる自転車は,持ち主にギブしておこうと手を出さずに済みます。通りを渡れずにいる障害者に「ドウゾ」と声をかけたとき,他者を尊重する思いやりや優しさの気持ちが呼び覚まされているはずです。ギブという行為は相手を同じ人としてきちんと認識していないと実行できないからです。ギブ優先が人間社会で表の理念である所以です。
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