*******  心 の 指 南  *******

〜育てよう ドウゾと言える 健やかさ〜

【第3章】自立ということ
3.2 自立とは自分のことは自分でということではないんでしょうか?
 コンビニの前でたむろする子ども集団を人は不気味に感じます。テイク衝動に動かされている子どもたちは安らぎが得られないので同じ気心の者と寄り添おうとしますが,その合体集団がテイク衝動のモンスターに変身しているように見えてくるからです。
 社会的に認知されてきた自立とは,他者にギブできるということであったはずです。決してギブミーと言うことではありません。人にギブできない間はまだ半人前なのです。消費生活優先の暮らしが満たされないものになる理由は,その未熟さにあります。今の若者の高級ブランド志向は,昔の人であれば身の程を弁えていないと思うことでしょう。それはギブが伴っていないからです。何の生産的な活動もできないうちは子どもであり,大人のブランドを身にまとう資格がないと考えていたのです。消費を先取りするテイク優先の胡散臭さが,自立の資格を剥奪しているのです。
 ギブの最も身近な形は,人のお世話ができることです。自分だけの世話しか考えていないのであれば,それは自立などではなく,社会にとってはガンとなり命取りになります。この漠然とした恐れが,子どもたちの問題行動を危惧する理由なのです。
 夫婦がお互いにギブしあい,親子がギブしあい,その輪を友人知人から周りの人へ広げていき,やがて一期一会のギブにまで到ったとき,人は社会的に自立できたと自他共に認知することができるでしょう。