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【第4章】ドウゾのしつけ
4.2 ギブのしつけが急がれる理由はあるのでしょうか?
家庭で父親は粗大ゴミ扱いを受けている一方で,子育てをしない父親は父親ではないと責め立てられています。育児をしない父親はイクジなしと揶揄されることもあります。では父親は何をすればいいのでしょうか。
最近の青少年が加害者となった事件は,地域社会内で発生しているという特徴があります。顔見知りの間柄でさえある場合も珍しくありません。もちろん加害者は男子であり,被害者はいわゆる社会的な弱者です。地域では子どもたちを守るために,「子ども110番」というステッカーを近隣の家や商店あるいはタクシーなどに張って監視保護の対策活動を実施しています。これ以上被害者を出さないという制止です。ここからが父親の出番なのです。弱い者に手を出すのは男として最も卑怯なことでした。父親の出番が要請されて久しく時を過ごしていますが,父親がそっぽを向いていた間に卑怯な男が育ってしまったのです。男の子には男親たちが育てなければならないことがあります。
今は幼い子どもを保護すれば済みます。しかし今まで通りに父親が男の子育てを放棄していると,やがて卑怯ということをしつけられなかった我が子が,よその子に手を掛けてしまうかもしれないのです。しつけのツケは後からまわってくることを気づくべきです。我が子の行く末は今現在のしつけにかかっています。犯罪やいじめなどの加害者にならない子育てが,父親に今最も求められているしつけなのです。
弱いものに手をかける卑怯さは,弱いものを守ろうとする勇気と表裏一体です。しつけるべきことは弱い者を庇うというギブ行動です。きょうだいが多ければ弟や妹を庇う体験を通してギブ行動が自然に身に付いていきますが,少子化ではそのチャンスが奪われています。少子化環境は子どもの育ちにとっては砂漠なのです。親の都合が子どもに負荷をもたらすことになる良い例です。
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