*******  心 の 指 南  *******

〜育てよう ドウゾと言える 健やかさ〜

【第4章】ドウゾのしつけ
4.3 ギブのしつけをするには,どうすればいいのでしょうか?
 ギブアンドテイクはワンセットであるという点に注目しましょう。家庭で子どもからギブ行為を引き出すためには,例えば親が意図的に子どもに頼ればいいでしょう。子どもは親にアリガトウと言ってもらえると,うれしくなってまた手伝おうとするものです。その繰り返しによって,子どもは親のためにするギブ行為の温かさを覚えていくはずです。
 長寿社会では,親は子どもに財産を譲ることができません。そこで子どもは子どもで生きてゆけと突き放すことになり,その代わり親の面倒は看なくていいと言い渡し,子どもの世話にはならないようにとポックリ死を願っています。親だから面倒をみたいと子どもがギブできる気持ちを自然に持てるはずなのに,拒否されては人間性への資質開拓は不発に終わります。親は老いたら子どもに世話をかけて,世話をすることによって得られる心の安らぎを教える役割を果たすべきです。人が一番元気なときに人生を終えずに,老いていく終焉を運命づけられているのには訳があると考えるべきです。そうでなければ老いに意味がなくなってしまいます。老いはアリガトウという言葉を語ることによって,後生にドウゾを言わせるためにあります。長寿がおめでたいというのは,ただ単に命拾いしたということではなくて,次世代への最も根元的なしつけができる幸せがあるからです。ギブのしつけはテイクしてくれる者がいてこそ成立するものです。核家族が進展して,高齢者世代によるしつけが機能できなくなっています。地域社会に枠を広げると,このしつけを補完することができます。子どもたちとお年寄りが出会うことによって,子どもたちはアリガトウと喜んでくれるお年寄りの笑顔を心に刻み込むことができるからです。
 対人関係の苦手な子どもが増えています。アリガトウしか知らない子どもたちは,いつも待っているから関係を結べません。集団に入れない子どもがいれば,大人は入れてもらいなさいと背中を押します。それは関係をテイクしろということです。明るく元気な子どもになることが学校でも社会でも強制されています。ネクラで弱い子どもは明るさ元気さをテイクしろと追い詰められるだけで,明るさとはどうすれば手に入るのかは教えてもらえません。もし集団に入れない子どもがいたら,オイデと招き入れて関係をギブできる子どもを育てなければなりません。それが明るい子どもの条件なのです。弱い子どもや年下の子どもを排除している今の子ども集団は,ギブの理念が欠落しているという点で不健全です。ギブは明るい開放系を,テイクは暗い閉鎖系を産み出します。異年齢集団には年齢制限がありませんが,いま子どもたちの交友関係の中心である同年齢集団には同級生という確固とした制限があります。同年齢ではギブする関係は生まれようがありません。異年齢集団はギブによって集団が成り立つというモデルとしての意義を備えています。
 人間関係はお互いがテイクしようとすると衝突が生まれ破綻していきます。共にギブしようとするとき豊かな関係が成立することを,あらゆる機会に体験させることが大切です。