*** 子育ち12章 ***
 

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「第 31-08 章」


『子育ては 親の方から ありがとう』


 ■子育て12指針■
『子育ち第8指針』

 皆さんは江戸時代にネズミ小僧という泥棒がいたことを知っておられますね。大店の蔵から千両箱を盗み,夜な夜な貧しい長屋の人に小判をばらまいてくれました。そこで町人は義賊と呼んで,心待ちにしていたというのです。でも,結局は捕まってしまいました。

 ところで,今の庶民はネズミ小僧などとは無縁なつつがない暮らしをしています。浮き世のつきあいを「ギブアンドテイク」でしのいでいます。多少のデコボコはありますが,まあまあ何とかやっています。このギブアンドテイクという関係は,社会人として身につけておかなければならないルールである,そう思いますよね。

 ネズミ小僧はどうでしょう? 蔵から千両箱をテイクし,長屋の人にギブしています。つまり,「テイクアンドギブ」になっています。気をつけていただきたいことは,ギブアンドテイクの順序を逆にしたテイクアンドギブは闇のルールであるということです。普通の泥棒は盗むだけ,テイクだけですが,ネズミ小僧は律儀にギブを追加しています。だから,義賊と呼ばれたのですが,それでも逆ルールに従っているので,泥棒なのです。

 子どもたちの非行,ひったくり,万引き,自転車乗り逃げ,恐喝などは,いずれも盗ること,取ること,テイクすることです。このようにテイクを先にしようとすると悪いことになるのは,順序を間違えているから当然なのです。

 もう一人の子どもは言葉を得たときに育つと言っておきました。ネズミ小僧が蔵から出るときに言うであろう言葉はアリガトウです。「オイ,お金をよこせ」と脅して手にするときに,アリガトウと一応言うはずです。泥棒だってアリガトウを言うのですから,アリガトウと素直に言える子どもが悪さをしでかすのは,何の不思議もありません。アリガトウが素直に言えるだけでは,十分ではなかったのです。どんな言葉が足りなかったのでしょう。

 ギブするときに言う言葉,それは「ドウゾ」です。英語でプリーズと言いますが,意味は相手を喜ばせることです。まず盗ってきてから山分けする闇の世界では,アリガトウの後からドウゾを言っています。まず皆で出し合ってから分ける表のルールでは,ドウゾの後にアリガトウが続きます。ドウゾと力を貸す,ものを分け与える,譲る,助ける,思いやることなどは,全て良いことです。暮らしの場で良いことをしようと願うなら,ドウゾという言葉から生まれ出てきます。

 豊かな時代に育っている子どもたちは,豊かな心を失ってきました。物が豊かであるとは,好きなものが好きなだけ手にはいることです。思うさまテイクできるのです。「いい時代だ,アリガトウ」というわけです。テイクする豊かさは,歯止めが効きません。人々は自分に歯止めが掛けられそうにないことを感じてしまうから,豊かさが実感できないという矛盾を導き出しました。

 そこで編み出したキーワードが「心の豊かさ」です。しかし,それが何か,どうすれば手に入れられるのか,迷っているようです。テイクを喜ぶのは闇の住人であることを見落としているせいです。表のルールは,ギブが先,つまり,ドウゾを喜ばなければならないのです。その言葉こそが,人間社会に必要な信頼関係を生み出すキーワードなのです。



【指針31-08:子どもに奉仕をさせていますか?】


 ■子育て第8指針■
『奉仕への成長』

 これまで,子どもにドウゾという言葉を与えてきたでしょうか? 非行を反省中の少年が,「これまでの人生で,人からアリガトウと言って貰ったことがない」と語っています。ドウゾという表社会のキーワードを使えなかったのです。親も大人も,無意識のうちに,子どもをアリガトウしか言えない世界に閉じこめてきたのです。

 親は保護者です。子どもの世話をします。赤ちゃんの時から引き続き,親とは子どもを世話する者だと思いこんできました。暮らしの中であれこれ面倒をみます。周りの大人も何くれと面倒をみてくれます。お隣のおばちゃんにお菓子を頂くと,「ほら,アリガトウは」ときちんとしつけをします。子どもはいつも構われる方にいますので,アリガトウと言うチャンスしかないのです。こうしてアリガトウが素直に言える子どもに育っていきます。

 小学校の児童にまで育つと,「もう世話をしなくてもよくなった」と,子どもを委託し放任しました。本当はそこで,もう一つの大事な子育てをしなければならなかったのです。「ドウゾ」のしつけです。世話をしなくてもよいほどに子どもが成長したということは,たいていのことができる力を持ったということです。ドウゾが使えるはずです。優しさや奉仕の心は,ドウゾという言葉によって引き出されてくるのです。

 共働きの家庭では,ママは多忙です。子どもが手伝ってくれたら,助かるでしょう。猫の手よりはマシなはずです。ママは自然に「アリガトウ」と言えるはずです。このパターンが大事なのです。子どもに手伝わせていたら間に合わない,「邪魔だからあっちに行ってなさい」,この放任がドウゾのしつけを喪失することになります。アリガトウしか言えない子どものままに放置されます。

 ドウゾのしつけをするためには,親がアリガトウを言わなければなりません。子どもの世話は親からドウゾと言うことですから,子どもはアリガトウの立場です。これを逆転するためには,親がアリガトウと言えるチャンスを作らねばなりません。「してくれると,助かるんだけど?」と,水を向けるのです。してくれたらアリガトウと言えます。

 決して,「手伝いなさい」と命令してはいけません。親が命令して子どもがやってくれても,して当たり前ですからアリガトウは言えません。ドウゾにならないのです。ドウゾはもう一人の子どもが言おうと決めて言う言葉だからです。子どもが親の世話の手から離れたら,逆に子どもの世話を受けるのです。それが,これまでにし残して来た,大人へと成長させていく子育てなのです。



 困っている人がいたら,ドウゾ。疲れている人がいたら,ドウゾ。立っている人がいたら,ドウゾ。怪我をしている人がいたら,ドウゾ。寂しい人がいたら,ドウゾ。手不足のママがいたら,ドウゾ。いつでも,どこでも,誰にでも,「ドウゾ」の言葉一つが,人の優しさを解き放つ呪文になります。豊かな心は素直に溢れてくるはずです。この指針を持っている限り,闇の世界に踏み込まずに済みますし,本当の豊かさを心いっぱいに感じられるはずです。

 人は過去に後悔し,現在に不満を持ち,将来に不安を感じるものです。この三拍子が揃ったら,生きていく意欲は出てきません。一つ一つを裏返していかなければなりませんが,それができるまでの間,じっと我慢し辛抱をする必要があります。その一方で,ものに対する考え方も変えていくようにしなければなりません。悲観的な観点から脱して楽観的な向きに視点を転換することです。育ちは明日に向かうものですから。(以下次号)

 ホームページのコラム欄で書いたことですが,NHKラジオ番組の中で「ホッとするところ」について男女のアナウンサーが話していたことで,男性アナウンサーは家と答え,女性アナウンサーは布団の中と答えていました。女性は家の中でもホッとできないのかと,気がつかされました。連れ合いはどうなのかなと気になりました。皆さんはどうですか?


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