《第2章 子育て心温計の誕生》

【2.3】何を目盛るか?

 心温計という名前を付けた以上,目盛りを刻まなければなりません。それには子どものどのような状態を測ればよいのかを決めておく必要があります。
 日常の会話の中で
   「お宅のお子さんはしっかりしていて,とても良いお子さんですね。」
   「いいえ,家にいるときは悪くて,親の言うことなんか聞かないんですよ。」
といったことをよく耳にします。ふだん,私たちは「良い子であるか,悪い子であるか」という形の判断をしています。心温計には「良い,悪い」の目盛りが必要なようです。
 いじめの問題が話題になるときなど,「自分の子どもが見えなくなっている」ということが盛んに言われます。見えないということが本当にあるのでしょうか。そんなのんびりした親ではないと誰でも思うことでしょう。しかしもし,指摘されているように子どもに見えていない部分があるとしたら,それが何かということをはっきりとさせておかなければなりません。心温計の目盛りに刻み込まなければなりません。
 日常の挨拶の中で,「良いお天気ですね」とか,「あいにくの天気ですね」と言うことがあります。所でそれ以外にどちらでもない「はっきりしない天気」というのがあります。良い悪い以外のなんとも言い様のないものが,現実には存在しています。同じように,暑くもなく寒くもない春や秋は過ごしやすい季節ですが,そのためにかえって暑いか寒いかという点では見えなくなっています。厳密に言えば,暑い寒いなどははじめから考えていません。
 「人の振り見て我が振り直せ」という諺があります。人の様子を見れば,自分が気づかなかったことが見えることがあります。新聞を考えてみましょう。毎日の記事には多くの人の行動例が出ています。でも私たちのことが新聞に掲載されることはありません。ニュースとしての価値は「目立つこと,特別なこと」であるということです。平凡な私たちは記者の目には見えていません。つまり善いことも悪いこともしない普通の生活をしている私たちは,目立つことがないために透明になって見えなくなっています。
 子どもが熱を出したら体温を測ります。40度もあれば誰が考えても熱があります。所で37度であったときには,平熱つまり普段の熱が何度であるのかを知らなければ,発熱しているのかどうかという診断はできません。このいざというときに基準となる大事な平熱を測っていない,見ていないことが多いようです。
 このように考えて来ますと,良い悪いという価値基準に対して私たちが見落としているものは,「普通の」という視点のようです。テレビ番組で「良い子,悪い子,普通の子」という言葉が流行したことがあります。この普通の子が「見えていない子ども」の正体なのです。

 この普通の子どもについて,もう少し具体的に考えてみましょう。「嘘をつく子ども」は悪い子どもと言えるでしょう。それでは「嘘をつかない子ども」は良い子どもでしょうか。嘘をつかないということは人間として当たり前のことですから,良い子どもではなく普通の子どもです。もう一つ,「お手伝いをする子ども」は良い子どもです。それでは「お手伝いをしない子ども」は悪い子どもでしょうか。良い子どもではないでしょうが,だからといって悪い子どもでもありません。ここで注意して欲しいことは,「お手伝いをするべきである」という小さな価値基準を持ち込まないようにするということです。もっと大きな価値尺度について考えているからです。とにかくお手伝いをしない子どもは普通の子どもです。した方がより良い子どもになると考えるべきでしょう。
 普通の子どもとは良いこともしないし悪いこともしない,目立つことを何もしない子どもです。そして現実に私たちが育てている子どもたちは,ときどき悪いことをしでかし,ときどき良いこともしてくれる普通の子どもたちです。問題を抱えた子どもたちに直接関わり合っている立場にある人が,「少年非行というものはあるが,非行少年という少年はいない」と力説されているのも,普通の子どもがときどき非行をすることで目立っているにすぎないという考えを持っているからでしょう。
 私たちのような普通の親には,普通の子ども,つまり親に似ている子どもは見えにくくなっています。子どもが悪いことか良いことをしたときだけ突然に姿を見せて目立ってしまい,親を驚かせることになります。「あの子が!」と信じられないという思いを抱いてしまいます。ですから「問題のある子どもが見えない」という事実は,その子どもを見る親や大人の普段の状態にこそ問題があるということを教えてくれます。例えば,子どもは遊び回って散らかすのがたいへん上手です。家じゅうをきちんと整理整頓しているお母さんは子どもが散らかすとすぐに気がつきますから,「後片づけをしなさい」と躾をします。所があまり片付け上手ではないお母さんは,子どもが散らかしてもなんとも思わないでしょう。そこで散らかす子どもが見えなくなってしまいます。

 子育て心温計には,良い子ども・普通の子ども・悪い子どもという形の判断ができるような目盛りが刻まれていなければならないようです。普通の子どもが意識化されることで,連続した目盛り付けができます。

 具体的に目盛りを刻む段階にたどりつきましたが,目盛りに対するもう二つの要請について触れておきます。目盛りは親一人一人の心温計の間で多少のズレは許されるとしても,大体の所では一般的に認められるようなものでなくてはなりません。普遍性が求められているということです。もう一つの要請は,教育特に躾の目的が子どもの社会性を育成促進することであるということです。子育てが社会人としての成長を目指すものであると考えれば,子育て心温計は「人との人とのつながり」という視点から考えられる基準を目盛としなければなりません。