《第3章 子育て心温計の仕様》

 子育て心温計の全体図は別ファイルに示すとおりです。

【3.2】子育て心温計の健全発育部

 (7)[モデルと対等になれたか?]
 自分が目指すモデルに自分が対等になれたと思ったとき,「充実感」を覚えます。母を目指していた女の子が,やがて夢が実現して赤ちゃんを産んで母親になれたときのあの充実感を思い出してもらえれば分かることでしょう。行動は自信に満ち態度には余裕が感じられます。独身者よりも既婚の人たちが漂わせるあの落ち着きです。あの安定感はモデルと対等になれたという自覚が成せることです。会社勤めを始めた新入社員も同じです。学生にはない安定感があります。
 ここで念を押しておかねばなりません。それは自分がモデルと対等になれたとき,次にそのモデルが社会的に他のモデルと対等であるか,適正であるかという判断をし,より完成されたものにしようという願いを保ち続けなければなりません。例えば,子どもがいさえすれば父親であり母親ではありますが,より望ましい父であり母であろうと願うのが自然な気持ちです。このように新しいモデルを次に設定しそれに向かってまた努力をし,繰り返し成長が続いていって人は少しづつ豊かさを身に蓄えてゆきます。つまり〈安定状態〉は小さな段階から大きな段階まで幾層にも重なっているという認識が大事なポイントです。大人であっても器の違いを感じるときがありますが,その器の大きさ,それがその人が持っているモデルの大きさなのです。生きるということはより豊かなモデルへの絶え間ない挑戦の過程と言えるでしょう。
 私たちは二十歳になれば社会から成人したと公認され,大人の仲間入りを許されます。しかし,それは二十年間の成育への期待を現したもので,確認はなされておりません。ですから名と実が一致するように親は子どもを育て上げる務めがありますし,子どもは社会的なモデルと対等になる努力が求められています。たとえもう大人になったと背伸びをしても,まだ未熟な大人です。さらに円熟した大人に向かってモデルチェンジを続けてほしいものです。一回りずつ大きな人間のモデルを設計し,努力を重ねることが大事ですが,一つのモデルに対等になった途端に成長への努力を止めてしまう大人がいるのは残念です。一つのモデルしか持てない場合,次への成長の道が閉ざされ〈変動状態〉(後述)に落ち込んでしまいます。
 こうありたいと思う例を紹介しておきましょう。外国から日本企業の強さを調査に来た人たちがいました。いろいろな研修会や会社訪問の中で多くの人の説明を聞いて回りましたが,どこかもう一つ納得できなかったそうです。家族的雰囲気,年功序列,終身雇用,勤勉さなどといったことが理由として挙げられても,それらがなぜ企業の力に結びつくのでしょう。企業の力とはとりもなおさず人の力です。日本人はどのような力を秘めているのでしょう。調査団の一人がある会社で一万円札をこまめる必要が生じて,近くにいた女子事務員さんに両替を頼みました。両替されてきたお金を見て驚いたそうです。そして探していた日本の力を察したそうです。両替されてきたお金は,千円札,百円玉,十円玉が適当に混じっていました。両替が必要だということは,小銭が要りようであるということです。ですから種類を揃えておく方が目的にかなっています。その事務員さんは相手の立場に立って依頼された仕事の内容を把握し,その上で自分の役割を果たしたに過ぎません。所がその調査団の人はこの簡単なことに目を見張ったのです。自分の国であれば恐らく千円札が十枚返ってくるであろう。言われたことしかしない自分の国の労働者に比べて,日本では特別の技能が必要なわけではない一介の事務員ですら,自分の職務の内容を確実に理解し,その職務範囲の中で最善を尽くしています。「命令と服従」という仕事のやり方ではなくて,「共に考えてする」仕事のやり方です。これが日本企業の強さの秘密です。決められた労働をして賃金を貰さえすればそれで事足りるという職業モデルを,自分の中で人間的なつながりがあるより良いモデルに置き換えている所が大事なポイントです。この事務員さんの心は,仕事を通して人とのつながりに十分な配慮をする事ができたという「満足感」でいっぱいになっていたでしょう。自分意識が強い集団は砂の山です。結束力が弱く集団としてはたいへん脆いものです。つながり意識のある集団は土の山です。集団として強固な力を発揮することができます。私たちは常により良いモデルに向かって成長し続けたいと思います。
 私たちは協力状態にある社会の中で,他人との連帯感によりお互いに責任を持ち,同時に自己の能力への挑戦をしています。この協力状態は内部に緊張感が漂っています。協力し合う者同士は仲間ですが,協力しない者あるいは責任を取れない者は仲間ではないと見なされます。このことは協力とはしなければならないもので,誰でもが五分五分で公平に負担すべきであるという思いをみんなが持っているからです。会社勤めで言えば,月曜の朝の気分です。一家の生活を支えるという大人のモデルを実現するためにする仕事は,五分の分担を背負わなければ成立しません。そんな中で働き生活を維持してゆければ目標は達せられますので,それなりの充実感はあります。しかし一方でこの緊張感をほぐしてくれる緩和剤として温かさが欲しくなるはずです。温かさや優しさのような情緒的なものを求めます。そこでついネオンの街に足を向けてしまいます。
 この温かさとはいったい何でしょうか。料理とは「あの人に食べて欲しい」と願って食事を用意することであると言われます。その願いを温かさと感じて美味しく食事ができます。奥さんが自分が食べたいと思って作った食事,食べさせなければという義務感だけで作った食事には温かさはないでしょう。自分への心遣いを示してくれる相手の気持ちを,私たちは温かさと感じます。そして相手の思いが分かったという感謝が,「ありがとう」という返事の言葉です。
 温かさなどの心情が分かるためには,連帯感の中にある緊張の部分を通り抜けなければなりません。苦労という体験をしたことのない人に人の優しさの素晴らしさは分かりません。ですから何か下心があるのではと勘ぐってしまいます。これは成長の道がモデルと対等になれたかという基準をクリアできず「闘争状態」に陥る方向に曲がったことを表しています。