《第3章 子育て心温計の仕様》

 子育て心温計の全体図は別ファイルに示すとおりです。

【3.3】子育て心温計の発育不全部

 ここでは,心温計の目盛による分類ではなく,状態別に説明することにします。
 (2)[対立状態?]
 「他人の権利を犯さない」ように暮していても,どうしても衝突が起ることがあります。他に解決の方法が無いと思い込んでしまって閉鎖的な状況と判断し,お互いに相手を排除しようとして喧嘩になります。しかしたとえ殴り合いの喧嘩になったとしても,対等であった相手が争う意志を喪失し,泣出した場合にはすぐに喧嘩をやめることができます。相手が弱者になったからです。それ以上の行為は暴力になり,卑怯なこととして人間社会では許されず,社会的な厳しい制裁が課せられます。このブレーキが大事です。喧嘩はお互いに相手を対等な人間と思うから起るものです。
 自分の欲望を通そうとすると,相手から抵抗が返ってきて喧嘩になります。この相手からの抵抗を痛みとして実感し,自分の行動の自由さが制限を受けていることを理解します。制限される理由は相手に迷惑をかけることになるからであると納得して,してはならないことと知ることができます。自分の欲求は無制限に許されているのではなく,ある一線で抑えなければならないと分ります。要求実現の方法が一つしか無いときに喧嘩になります。そこで別の方法も可能であると分らせる必要があります。つまり単一の価値観しかないよりも,多様な価値観を持てる方が争いをしなくて済みます。
 また「他人に迷惑をかけないか」という基準にNOであるとき,甘えになります。自分では何もできないと思っており依存的になり,自制することを知りませんので,わがままをいいます。自制することを知るには,他からの抵抗があって痛みを経験する必要があります。
 この喧嘩と甘えで代表される行動が相手とは対立関係を持つことになるので,〈対立状態〉と呼びます。
 幼児期には甘えて依存することで生きていかなければなりません。しかし,成長するにつれて解消しなければ,次のステップに進めなくなります。親の愛でいつまでも甘えを許してしまうのが過保護です。喧嘩は言うに及ばず,この甘えも程々にして,迷惑なことと教えるために叱らなければなりません。
 この迷惑という少し小さな罪を設定することで緩い制限を設け,子どもを叱るだけで済ませることができます。もちろん叱るときは真剣でなければなりません。喧嘩をして相手がコブを作ったら「ゴメンンサイ」の言葉で償いができるような小さな過ちのうちに,悪いことへのしっかりした歯止めをかけることが可能になります。
 迷惑をかけないという歯止めが効かず,他の権利までも犯した場合には,大きな重い罪を犯したことになり,これは許されないことです。親は「共に泣く」ことになります。子どもだけではなく,親の一緒に許しを乞わなければなりません。親の身を挺してでもという親の覚悟があって,子どもに罪の重大さを徹底して悟らせることができるでしょう。親以外にはできないことです。決して人任せにはしないことです。
 昔から「人様には迷惑をかけないように」と言われてきました。比較的小さな罪でさえ犯さないように心掛けて暮していれば,取返しの付かないような大きな罪は犯さなくて済みます。私たちが法律の条文を知らなくても暮していけるのは,人に迷惑をかけないように暮しているからです。この二段構えの防止策は素晴らしいものだと思います。子どもがしでかす過ちとかいたずらを迷惑という基準で修正してゆく躾ができるからです。
 ただ最近は,この二重の柵のうち内側の迷惑という名の柵が穴だらけになっているようです。多くの人が少しぐらいとたかをくくって甘えてしまっています。その反動でしょうか,社会は迷惑という柔かな柵を忘れて,子どもの喧嘩にまで外側の鉄の柵を持出して,罪は罪として許さないことが多くなりました。子どもの体験学習の場がなくなってしまって,そのために喧嘩をしても程度が分らず,たとえ相手が無抵抗になっても自制できず,徹底的に痛めつけてしまうまで続けます。二段構えになっていた歯止めが一段になってしまったために見えなくなった恐さが感じられます。日常生活の中で子どもは迷惑という柵で行動への制限と反省を受けるべきであるのに,するっと素通りしてしまっています。夏の夜遅くまで爆竹を鳴らしてはしゃいだり,スーパーで品物に触りまくってぶらついたり,道路の真ん中に自転車を放置したりしています。私たちは親子ともにたかをくくっている自分を反省し,この内側のフェンスを繕っていく必要があります。
 小学校5年生が校長室に一人立っています。タバコを吸ったというので,親が呼出されました。親は校長室に姿を見せるなり,いきなりこう言いました。「お前,あのくらい言うたのに。人前で吸うたらいかんと言うたのに」。
 中学校のPTAに講演に出かけた方からのお話です。少しお酒を飲んでいる父親が質問に立ってこう言いました。「うちの息子に学校でタバコのむのを認めてやってくれ。あかんのか。あいつにわしがタバコやめ言うたらわし殺されてしまう。」
 子どもを守り救い出すことのできるのは親しかいません。親のできないことを,他の誰ができるでしょう。非行を重ねる少年を親が見放してしまっていることが多いようです。親同士の地域などでのつながりがないために,弱い親は弱さをもろにさらけ出さざるを得ません。迷惑というフェンスを支える目的で人のつながりがあれば,これ以外の多くの場面でも力を発揮するはずです。
 過保護による甘えにどっぷりつかり込んでしまった対立状態では,他の人の我慢に辛うじて許されているに過ぎません。ですから周りと対立してしまうのですが,甘えている本人はしたい放題ですから,これ以上の快適なことはありません。喧嘩をすればこの状態から抜け出す機会もありますが,喧嘩すら経験できないと,親が嫌な目に合わせてやる必要があります。叱ったりすることです。子どもは快適な場所から追出されることに抵抗しますが,この抵抗を打砕いてしまわなければ,健全な発育は望めません。かわいそうですが,放置することはもっとかわいそうなことです。