《第3章 子育て心温計の仕様》

 子育て心温計の全体図は別ファイルに示すとおりです。

【3.3】子育て心温計の発育不全部

 ここでは,心温計の目盛による分類ではなく,状態別に説明することにします。
 (3)[孤立状態?]
 迷惑をかけないという規制を他からの強制と感じると,開き直ってしまい「迷惑をかけなければ何をしようと勝手でしょう」という拒否感にとらわれてしまいます。自分の気持の中で迷惑をかけないようにしようという自制心が芽生えていないからです。公園などの清掃作業に対して「うちの子どもは遊びませんから,参加する必要がありません」と臆面もなく言出したり,選挙のとき「自分には関係ない」と棄権してしまうことです。子どもが「遊んでやらない」と友だちに言われたとき「いいもん」と開き直ることなどです。
 もう一つは他人と比べて同じでないときに,見栄を張って表面的に同一性を保とうとする場合があります。ときどき,縁故のある人の自慢話ばかりすることで自分を引立てようとしている人に出会います。また子どもが友だちに高価な玩具を見せられて「ぼくだって持ってるもん」とつい嘘をついてしまうのもその例です。
 以上の二つの場合,どちらも人とのつながりが持てていません。ですから一人遊びをしたり,ゲーム機やファミコンなどの機械遊びにのめり込んでいきます。
 自分だけ違ってどこが悪いと思うことと,自分だけ違うことを恐れることは,全く正反対の気持ですが,いずれにしても孤立することに意地を張ってやせ我慢をしていることが多いので,子ども自身の本当の気持に気付かせるような説得が必要です。
 健全な発育の出発点である〈孤独状態〉は,独りぽっちという思いはありますが,人とのつながりを何とかして持とうとしています。ところが〈孤立状態〉はどちらかというと自分の気持を押え込んで人とのつながりを故意に避けようとして,上辺だけ取繕っているようなところがあります。特別に敵対しようとはしませんが,かといって仲良くしようともしません。人とのつながりを持つと自分の本当の気持に気付かせられることになるので,恐れているように見えます。人づきあいの悪い人というのは,人づきあいにのめり込んでしまう自分が恐いから避けていることがあるのではないでしょうか。本当は人一倍寂しがり屋なのかもしれません。
 今地域が抱えている状況はまた少し違っています。経済活動が集中管理的になってくるにつれて,職住分離が進行し,地域はまさにベッドタウンと化してしまいました。地域は静かに眠っています。寝起きの不機嫌な顔と疲労によるけだるさだけしかありません。人と向合って語る気持の余裕が持てずに顔をそむけてしまいます。活力が消えた地域は何も生み出すことができず,時の経つままに寂れていきます。
 このことに気付いた人たちが地域の復活を目指し,さまざまな活動に取組み始めています。心から応援したいと思います。眠りから叩き起された人たちは,「自分は誰にも迷惑をかけていないから,あなた方も私に迷惑をかけないで欲しい」と言いたそうです。地域という社会がマイナスの効果しか持たないと思っているようです。地域社会は職場社会とは異質の特徴を持っていることが再発見できるように,人を縛る地域から人をのばし自由にする地域へ脱皮しなければならないでしょう。地域にしっかりと根を張って生きるのが人間の生活であり,職場は仮の宿にしか過ぎません。今は本末転倒しています。ですから人間が消えた産業製品が出現しています。
 私たちが人間であることを実感できる場所,それが地域です。人間に戻るために地域団体が果すべき役割は重要になります。あせらず少しずつ輪を広げていく根気強さが求められています。濁流に飲込まれた木々は流れの中でバラバラのままお互いにぶつかり合いながらすさまじい勢いで大地を削っていきます。しっかりと根を張った木々は大地の豊かさの中から栄養を吸収し,他の生物との温かなつながりを持ちながら成長していけます。根っこのない人間は孤立し,やがて朽果てていきます。山の緑が雨水を制御できます。禿山の大雨は恐ろしいだけです。人間にも緑を。