《第3章 子育て心温計の仕様》

 子育て心温計の全体図は別ファイルに示すとおりです。

【3.3】子育て心温計の発育不全部

 ここでは,心温計の目盛による分類ではなく,状態別に説明することにします。
 (6)[自閉状態?]
 自分の理想とするモデルを持つには持っていますが,理想が非現実的な夢であったり自分に全く関係のない事情で実現不可能になってしまう場合,現実から逃避してしまいます。このときの状況判断は大変主観的で思い込み的になっていることが多いようです。例えば,家庭の事情で進学の夢が閉ざされた場合,どうしても進学したければ最善の策がダメであるとき,次善の策を考え出そうとするはずです。これしかないと思い込んでしまうことが道を閉ざしてしまいます。
 また自分で作りだしたモデルではなく他から押しつけられたモデルしか持てない場合も同様です。学校は社会のシュミレーションの世界です。模擬社会です。その中で管理されて育ってきた大学生が,今大変幼稚化しています。現実の生活とは関係のない,つまり遊びについては大変上手で器用ですが,現実的な心を開いた人間関係が作れずに内心クヨクヨしているところがあります。相手の気持が遊びを離れたとき分らなくなるからでしょう。模擬社会の外に飛出すことが不安になっています。対人関係の未熟さ,世間が狭いと言われる状態ですので,目を覚させ夢の国から解放してやらなければなりません。家庭と学校の現状が自閉的である以上,そこで育つ子どもは自閉状態でしか生きられなくなっています。いつまでも大人になりたくないというピーターパンシンドロームに感染して当然でしょう。現実の世界の厳しさだけではなく,甘さの部分も知らせる必要があります。
 正常なモデルを持っていても,時間の流れの中で成長が感じられないとき,どうしても焦りが出ることがあります。意欲を持続することに失敗すると絶望感に襲われ,気分は内向的になり自分の無能さを責めるようになります。親がダメな子どもとばかり言っていると,子どもは内に篭っていきます。70点のテスト結果に対しダメじゃないのと言うことで,子どもはここに落込みます。追いつめられた状態から解放してやらなければなりません。
 また正しい理想を持っていても,その実現の方法を誤った場合に,自閉状態に落込むことがあります。女子大生二人が中学校の教師になったばかりのとき,教室で子どもたちから「先生は処女?」と尋ねられました。一人は「私はこれまで自分の身体を一番大切にして来ました」と答え,もう一人は「どっちだと思う?」と答えましたが結局子どもたちにからかわれ泣かされて一か月で辞めてしまいました。
 子どもたちは先生が持つモデルを試しています。子どもたちがたとえ無礼な質問でぶつかって来ても,大人として正面から真面目に受止め,その中で女性にそうした質問をすることの無礼さを嗜めた先生は,その後も一所懸命教師を続けています。きちんとした答えをした先生は,いわば子どもの試験に合格したようなものです。先生がしっかりとしたモデルつまり人生観を持ち,自分たちを堂々と受止めてくれる強さを持っていると知ったとき,子どもたちはその教えを受けようと思います。
 「どっちだと思う?」と小手先でごまかすのは誤っています。相撲で言えば相手が正面からぶつかって来ずにいきなり張り手をしてくるとき,けたぐりやはたき込みで応戦するようなものです。これは二つの過ちを犯しています。一つはこの応戦の仕方が確かに相手の意表をついた方法であったことです。「カッコ良さ」があります。しかし始めからこのような奇をてらった応対をしてしまいますと,次から真面目に応対することがダサイことに思えてしまい,もっと奇抜にと考えがちです。これがいつまでも続くわけがありません。奇抜であろうとしても意外性はやがて薄れてきて,かえっておかしなものになります。そしてついには行き詰ってしまいます。奇抜であることが意味を持つのは,まともな平凡な日常性の上です。現実の日常が面白味のない真面目なものであるからこそ,精神が安定していられることを忘却してはなりません。米は毎日食べても飽きることがないのと同じです。真面目さをバカにすると結局は自分で自分を追いつめ閉じ込めてしまうことになります。もう一つの過ちは,先生が子どもを対等なものと意識したことです。ですから大人には横綱の風格が必要なことを忘れています。相手がどんな手を使って来ようと,それに対して動ずることなく,平然と受止める強さが大人,特に先生には求められます。これが子どもの試験に対する正解です。