《第3章 子育て心温計の仕様》

 子育て心温計の全体図は別ファイルに示すとおりです。

【3.3】子育て心温計の発育不全部

 ここでは,心温計の目盛による分類ではなく,状態別に説明することにします。
 (7)[闘争状態?]
 自分の持つモデル実現に向けて,ただひたすらのめり込んでしまうことです。例えば高学歴を求めてガリ勉受験勉強に励み,独断的で自分しか見ず他人には目もくれないか,邪魔者としか思っていません。本人は非常に充足感に満たされているかもしれませんので,生き甲斐を見つけた錯覚に陥っています。
 金色夜叉の貫一のように,金持になろうという望みが,お宮さんという一人の女性への恨みから出た主観的かつ感情的で不純なものであるとき,この状態に入り込みます。このように客観的モデルではない場合には,頼れるのは自分だけしかいませんから,どうしても闘争的な努力になります。また,いわゆる仕事の鬼と呼ばれる人は感情的な強制意欲である強迫観念を持っています。立身出世による個人的栄誉の充足などを願うことが,意欲の原動力になっている場合が多いようです。
 またどんなに努力し挑戦を繰返してもモデル実現の望みが達成できないときには挫折します。意欲があるだけに敗北感を抱いて,悲観的になってしまいます。
 私たちが目指すモデルは一つではなく,段階的になっていることが普通です。一つのモデルが実現したら,次のモデルに向った前進が待っています。人間性が大きく深くなることに,際限はありません。このことを忘れていることが多いような気がします。例えば,子どもたちは今,学歴社会の中で受験勉強に励んでいます。その子どもたちのモデルは親に押しつけられた「大学生になる」ということです。つまり第一のモデルが他人から与えられています。子どもは大学に入りさえすればという思いで,遊びを忘れて努力をします。そしてめでたく大学生になります。それから先どうすれば良いのでしょう。大学に入った後のモデルがありません。親もモデルを与えてはくれません。ところが自分でモデルを作った経験がありませんので,再出発することができません。何をどう考えれば良いのか分らずモデルを持てない状態まで戻ってしまいます。勉強さえしていれば偏差値とセンター試験の点数が,とりあえずほぼ自動的に進路モデルを決めてくれます。自分で考え,悩み,決断するというプロセスを踏まずに済むことが,次への出発を不可能にしています。本当に不幸です。モデルと対等になれた途端に,すべてが消えてしまうような幻に出会っています。本当の意味でモデルと対等になれたのではないようです。
 子どもは自分のモデルを持つと同時に,身の周りの大人たち,特に親についてのモデルも持つようになります。実際の親の姿と親のモデルとを比較します。親のモデルとは言っても多分に期待過剰なものかもしれませんし,一方現実の親を表面的にしか捉えられていないことも多いので,この比較はあまり成功はしないでしょう。極端な例として,少女売春の場合があります。どういう男の人に声をかけるのかと問いますと,父親に打明けたいようなことを聞いてくれる人と答えるそうです。少女の頭の中では父親とはこんな人というモデルがイメージされていますが,その初めての異性である父親がモデルからほど遠いと思い,現実の父親に絶望しています。モデルと対等になれていない父親に見えているということです。そこで本当のお父さんにぶつかっていこうという強い欲求が,売春という手段さえ受入れさせていきます。少女の一つの闘争です。父親との接触があり,見かけとは違って愛情溢れる父親であることを知る機会を持てれば良いのですが,そうではない場合,あんなしっかりした子なのにどうしてというような相手を選んでしまいます。男を見る目が育っていません。母親を夢中にさせたお父さんですから,本当の愛情を持っているはずです。それを娘にも分けて欲しいと思います。現実の正しい父親モデルを持たせることも,子育てにおいて必要なことです。
 子どもがこの闘争状態に落込んだら,モデル(夢)の修正,実現方法の修正,考え方の修正,あるいはモデルの作り方を,始めから教え込むことが必要です。私たちの経験の中に沢山の例があるはずです。