《第4章 子育て心温計による診断》

【4.1】診 断 例

(その11)大過なく

 何らかの職を辞すときの挨拶では,多くの場合
 「力不足の私が大過なく任を務められましたのも皆様の…」
と話されることがあります。この大過なくということは,開き直れば「小過」はあっても構わないということです。小過とは他人に多少の迷惑を掛ける程度のことで,大過とは他人に人生の方向を変えるほどの罪科を与えたことでしょうか。とにかく多くの人に許してもらえる程度の過ちは不問に付されます。〈無法状態〉という大過は許されないことは当然ですが,〈対立状態〉に入り込んだことは許す余裕があります。社会生活では完全さをやみくもに求めてはいません。
 子どもの持って帰るテストで70点しかないと考えるのではなく,70点もあると考えれば余裕も生れます。鴎外の家に客人があって話しが弾み夜も更けてきました。客人がお手伝いさんに時間を尋ねたら,「もう11時です」という返事でした。それを聞いて鴎外は叱ったそうです。「もう11時」ではなくて,「まだ11時」と言うべきだと。もう11時ということは過ぎた時間を見ていますが,まだ11時と言うと先を見ていることになります。過去を振返るよりも将来を目指せということでしょう。ここにも余裕があります。
 きちんと整理がされてゴミ一つない家というのは素晴らしい家なのでしょうが,住むには少し窮屈ではないかと思います。どこの家でもどこか一ヶ所は雑然とした部屋があり,それ故に安らぎのあるような場合があります。整理整頓ということは良い価値を持っていることで,散らかっているということは悪いことです。しかし人間の心は少しの散らかった状態に安らかな反応をすることがあります。まだ整理しなければならない部分があることを知ることで,自分の役割が終了していないという実感を持てるからです。すべて整理し尽されてしまうと,「もうすることがない」という閉じられた思いになります。自分はもういてもいなくてもよい,役には立てない存在のような気がしてくるはずです。不安な思いが湧いてきて落着かなくなります。つまり仕事を完全に仕上げてしまうと,することがなくなります。それが恐いからわざと中途半端に仕事を終わらせることがあります。魔除として屋根の上にわざと瓦を一枚置き忘れるのも,そんな思いと重なっているかもしれません。
 余裕とは完全さを求めながら,常にし残した状態にいるときに感じる思いではないのでしょうか。自分にはまだ未来があるという実感をし残した仕事として確認できるときに,余裕が生れているような気がします。すべてが終了したと思ったら,生きてはいけないはずです。欲張りは昔から酷い目に会っています。おとぎ話は知恵の宝庫です。大きなつづらを将来へ残しておいて,今は小さなつづらでよいと考えることが,慎ましさという美徳の形をとった将来への可能性を生み出す知恵です。余裕とは不完全さの中にある将来への期待です。