《第4章 子育て心温計による診断》

【4.1】診 断 例

(その2)尊敬する人

 今,尊敬する人は両親と言う子どもが多くなっています。例えば,一流大学を卒業した若者が「お母さんが小さい頃から付いてやってくれなかったら,ぼくはこの大学に入れなかったろう」などと言います。同じことを将来言出しそうな中学生もいます。中学生が両親から言われる嫌な言葉の代表は,「勉強したか」という言葉です。そこで先生が母親に辞めて貰うように頼もうとしますと,子どもたちは「いや,言われなくなると勉強しなくなるから」と反対します。私たちであれば大賛成するでしょうが。
 なんとも不思議な人間が育っています。嫌なことを必死で受入れようと努めています。大学を卒業するという目標(モデル)と対等になり親を尊敬していると言うと,正に健全な成長をしているように見えます。尊敬しているという理由を考えると,尊敬というより感謝の気持の方が正しいのですが,それでも一応健全には違いありません。しかし本当にそう考えて良いものでしょうか。
 逆に考えて見ますと,親による強制がなかったら何もできないことになります。学歴社会の中で生抜くためには勉強をしなければなりません。それも試験のためです。自分を向上させるという目標は取って付けたようなものです。偏差値という単一の価値尺度で能力を判定されて人生が決ってしまうと信じて,自分でモデルを作らず,自分の意欲は無く強制された意欲を素直に受入れています。
 親の愛を素直に受入れ,それを感謝していますが,結局は親の懐の中でぬくぬくと育っているだけです。大学を出たといっても自分で努力し成就できたという充実感が持てず,だからこそ一層親の存在が大きく感じられるのでしょう。本当の〈安定状態〉ではありません。また尊敬する人とは,未来の自分の目標となるような人であり,近寄り難い存在であると感じられる人です。本当に素晴らしい人間として親を尊敬しているのであれば,良いのですが,自分の存在にとって偉大な貢献をした人という意味での尊敬であれば,自分の枠に閉じ込もっていることになります。母の力不足でもし失敗したら,自分のことは棚に上げて母の無能さを責めたてることになるでしょう。
 現実を逃避している〈自閉状態〉であり,一方で,親離れできずに甘えて〈対立状態〉にあります。中学生は,高校進学する理由を「皆が行くから」と思っています。自分のモデルが持てずに,人並意識しかない〈群集状態〉です。自分の力で歩くことを教え,格好だけ整えるのではなく,内容の充実を目指さなければなりません。強制された意欲を親が過信しているから,こんな子どもが育っていきます。強制というカンフル剤は良く効きますが,それだけに副作用もあります。化学肥料だけで無理に太らした作物を作っているのと同じことが子育ての場でも起っていることを見逃してはなりません。