《第4章 子育て心温計による診断》

【4.1】診 断 例

(その3)忘れ物

 小中学生にとって大事な仕事道具である学習用具を忘れる場合があります。忘れ物をすることはいけないことであると叱ったり罰が与えられたりします。この罰による躾は他から強制されるものですが,罰を受けることは誰でも嫌なために忘れ物をすることが嫌なことであるという感覚が育っていきます。その点では意味があるかもしれません。しかし,そればかりですと他から与えられる罰がないときには,忘れ物をしても平気になります。子どもに対して常にこの他からの強制をし続けるわけにはいきません。親や先生が四六時中ついて回ることもできませんし,また強制された環境に慣らしてしまうと強制が外れたときに何もできなくなります。つまり過保護な状態に陥らしてしまいます。他からの罰による躾と同時に,子ども自らが自制する力を育てることも忘れてはなりません。そうすればたとえ強制がなくとも,自分で忘れ物をしないように気を付けるようになります。このことは忘れ物というミスを通して,より深い躾をすることにつながります。忘れ物を躾の一つの教材と考えなければなりません。そうでなければ,子育てが個別的に分散し発散してしまいます。
 昔を振返ってみても,忘れ物をしたからといって特に先生や親に叱られたことはありません。隣の子どもに貸して貰ったり,見せて貰ったりしていました。しかしそれでは思いどおりに使えませんし,友だちにも不便な思いをさせます。クラスは共存状態にありますから,困っているときには側の者が救いの手を差伸べてくれます。その結果お互いが中途半端な状態になってしまいます。自分のミスが他人に伝染してしまうことになります。自分にも不便なことが自分で実感できます。忘れ物について一番大事なことは,共存状態から協力状態にある人間社会には人とのつながりがあるから,自分のミスが他人に迷惑を掛けることになるという事実を教えることではないでしょうか。
 人とのつながりという次元で理解をすることで,ミスの意味を知り,感謝の気持を知り,人を助ける意味を学んでいくと思います。自分で自分を叱ることができるような具体的な理由づけを子どもに与えることを忘れているようです。私たちの一つの忘れ物です。
 忘れ物をした子どもを罰として廊下に立たせることも,大きな過ちです。罰にとらわれているために,忘れ物をして困っている子どもを忘れています。立入禁止地域に入り込んで遭難している人を,自業自得として放置するでしょうか。理由は何であれ,困っている人を見過ごしにはできないのが人間のよいところです。このことを忘れては,罰は逆効果になります。
 忘れ物という小さな過ちを,次の育ちの教材として役立てていく大きな教育が望まれます。子どもは未熟ですから小さな過ちをしゅっちゅう犯します。その過ちには大きくならないうちに摘み取ってしまうべきものと,多少の迷惑は引き受けて教材として利用しなければならないものとの二種類があります。この区別を私たちがしっかりと意識しておかなければ,印象に残るしつけはできません。