《第4章 子育て心温計による診断》

【4.1】診 断 例

(その5)赤い羽根

 人の思いやりをお金に変えて持ち運び可能な形にして,恵まれない人に善意を届けるため,赤い羽根募金が毎年実施されています。最近は一戸当り○○円と割当てられていることもあるようです。この強制に反発する人も出てきます。人の善意は自発的なものでなければならないという思い込みがあります。あるいは,善意という言葉をつけることによって他人の懐で福祉政策の不備を繕っているのではないかという不信感もあるようです。税金みたいなものと思って仕方なしに協力している人もいるでしょう。あるいは善意を届ける道があることを嬉しく思う人もいるでしょう。とにかく赤い羽根募金については色々な考え方をする人がいるでしょうが,ここでは強制された善意という点だけに着目しておきます。
 バスや地下鉄などの乗物に「シルバーシート」という席が設けてあります。外人がこの席を見て感心するそうです。福祉の象徴でしょうか。よくよく考えてみますと,このような形で思いやりを強制しなければならない貧しい社会に突き当ります。誰も席を譲ってあげようとしないから,席を設けなくてはならないと考えることもできます。思いやりに満ちた社会であればシルバーシートなど必要ありません。
 私たちの善意はまだ未成熟で不確定です。管理化された社会では不確定な要素は存在しては困ります。赤い羽根募金にしても,目標額,使途を決めて予算化していかなければ事業として運営できない側面があります。確定的であるためには,割当てせざるを得ないことになります。もちろん個人の募金に際しては自発的な募金であるのが望ましいのですが,事業としては恐ろしく効率の悪いものになってしまいます。どうしても管理化されることによって強制されます。人間関係が複雑になるにつれて,社会の管理下は進んでいき,心の領域にまで及び始めています。
 社会が膨張して,その中に住む人々が求めている善意は,私たちが自発的にもたらす善意よりはるかに大きいのかもしれません。私たちの善意が貧しくなっているためであるとすると,すべての人が人間として〈奉仕状態〉への成長を目指さなければならないでしょう。
 家庭の中で,地域社会の中で,日常的に助け合いが行われていれば,福祉事業は縮小できるでしょうか。弱者を保護する福祉事業が拡大するということは,個々の人々の関わりが希薄になっているからでしょうか。弱者の保護は大変な負担を必要としますので,肉親という個人だけに背負わせてしまうことは無理です。社会的な福祉機構の整備が望まれます。そしてその社会機構は個人が作り出すものでもあるのです。決して他人事ではありません。社会に押しつけて個人は知らん顔というのは人として無責任です。できるだけの協力をすることが責任の取り方です。シルバーシートを弱者に提供することは,座れないという負担を引き受けることです。強制されようとされまいと,社会の一員として福祉事業に気持ちよく応じる方が幸せな生き方でしょう。善意は自発的なものでなければ意味がないと強制を拒否するこだわりは,社会というものの本質を見逃した偏狭さの自己表示にすぎません。