【4.1】診 断 例
(その8)何となく
いじめっ子たちが心の内を語るときの共通語は「何となくむかついていらいらする」ということです。この子たちに限らず多くの子どもが目当てが分らなくて欲求不満に駆られ,ストレスを解消できないままに不完全燃焼しています。細分化された多様な価値観に目が眩んで物事のどこが大事なものか分らない中で,何を目当てに生きたらよいのか迷っています。何となく生きているのか,何となく生かされているのか,それさえ自覚できていません。〈群集状態〉の体勢に流されています。大人たちも同じです。
何かに向って努力している自分を自覚できることが人間には必要です。生きているという実感を持たなければ安心できない欲深くそして臆病な生き物なのです。何となく暮していることがどんなに辛いことか真剣に再認識してみなければなりません。仕事を除けば何も残らなくなるから,それが恐くて仕事の中に逃込んでいることがあります。子どもを救うために,また私たち自身が救われるためにも,歴史の流れの中で始めて先頭に立ったトップランナーのペースを守り通さなければなりません。世の中全体が新しい価値を求めてさまよっています。百家争鳴の状態です。このまま何となく生きていると,とんでもない方向に流されてしまうでしょう。人間の歴史は開拓の連続です。正しい方向に流れ出さなければ腐敗が始ります。過去の歴史の愚行を繰返さないために英知を結集すべき時です。子どもたちが警告を発して呉れています。雑多な情報の多さが個人の知恵を圧倒し,人は何を信じて良いのか決められずに,無力感を持ち始めています。後には「何となく」しか残りません。
時間を持て余し何となくぶらついていることが多い生活は,人間をけだるくし情緒も不安定にします。何かうつうつとしたものが脱出口を求めていますので,他愛のないことで暴走してしまうこともあるでしょう。まさに小人閑居して不善をなしかねない事態になっています。今,私たちの中で自分の人生に目標を持てている人はどれほどいるのでしょうか。世の流れに身を任せ,何となく毎日の仕事をこなして過していることはないでしょうか。人生の目標を金儲けのための仕事に置いて,家庭には休養しか見あたらないとしたら,家庭はいつも眠っていることになります。家庭は家族が何となく同居しているような曖昧なものになってしまいます。社会の基本は家庭です。家庭を離れた意識しかないから公害が生れます。人生の基盤は家庭にあります。家庭生活を豊かにするためにこそ社会があり仕事があるのに,考え方が逆転しているところがあります(変動状態)。このことはいわゆるマイホーム主義ではありません。自分の家庭を大事に思うと同じくらい,他の家庭も大切にしようと願う〈奉仕状態〉です。家庭を見直し考え直すことから始めて,家庭生活の中に人生の目標をしっかりと据えなければならないでしょう。
日々を充実して生きていく目当てがあれば,何となくという空白は消えてしまいます。私たち自身がまだ成長の途上にあることを自覚するべきです。
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