《第5章 子育てから子育ちへ》

【5.1】親 の 十 分 条 件

 私たちは子どもが健やかに育ってくれることを願っています。そのために私たち親が果さなければならない役割とはどういうものでしょうか。保護者であることは親としての必要条件です。一般に親になるということです。それでは親であるための条件,親の十分条件とはどういうものでしょうか。重要なものとして,ここでは三つの役割を挙げておこうと思います。

 第一の役割は,私たち親が子どもにとって憧れの目標になることです。単純に言えば「大人っていいなあ」と思わせることです。子どもから見た大人社会が素晴らしく魅力的なおかつ子どもには計り知れない深さを持つことです。家庭は親中心で動くべきです。親の勝手という意味ではなく,家族を代表して家族全員のことを配慮した上での親の決定に子どもを従わせるようにします。仕事から帰ってきて一杯飲んでテレビを見るだけという生活は,自分だけにとって満足のいく生活かもしれませんが,それを楽しみたいなら独りで暮らすべきでしょう。家族の皆で和やかに楽しみを分かち合えるような,親の楽しみを子どもにもお裾分けできるような雰囲気が大事です。お父さんとお母さんが楽しそうに話をし,側にいる子どもはその温かさを感じながら話を聞いていて,「大人の話は難しいけど,あんなに笑顔を見せているお母さん.とても幸せそう」と,子どもに思わせることができればと思います。
 このようにして幼児期から常に一体となり孤独状態を支えてくれた愛する母親が,父と仲睦まじく大人の世界に入っている姿を見せてやれば,子どもも父や母に負けない大人になることを願うようになります。これが一番大事な父親の出番です。よく言われているような厳格な父親の出番はその次です。母親を子どもから取り上げる父親が,子どもにとって初めて遭遇する他人なのです。自分と一心同体であると信じていた母親がどうも父親と一つになりたがっているようだと悟らせることが,子離れ,親離れにつながります。邪魔者としての父の存在を認知することによって,子どもは自己存在意識に目覚めます。親子関係よりもっと魅力的であるらしい夫婦関係,つまり大人の世界があることに気づくと,自分も早く大人になって母親を取り戻したいと願います。この大人になりたいという願いから,母親を引きつけている父親とは何者なのか,父親の持っている魅力とは何かを知ろうと,父親をじっくりと観察します。繰り返しますが母を取り上げることで子どもを逆境に追い込まなければ,この意欲は生まれないことに注意して下さい。

 第二の役割は,子どもに未熟感を持たせることです。単純に言えば「大人ってすごいな」と思わせることです。何をしても親にはかなわないという思いをさせることが大切です。少々のことには動じないで堂々としていることです。どんなことでも親はそれなりにこなして見せることです。子どもが苦労して困っていることを何の苦もなく処理してみせることです。子どもが今学習している内容の一部を,こんな話を聞いただろうと当てて見せることです。子どもの目の前で日曜大工でも遊びでも趣味でも読書でも演奏でも,何でもいいから,親が得意なことをしてみせることです。親がぼけっと暮らしてばかりで,少なくとも子どもの前で何もして見せないから,子どもは親の力を見えずに,能力の違いを実感できません。
 子どもは大人にぶつかってきます。大人に対抗しようというよりも,自分の力を知るためにぶつかってきます。こんな時親は正面からしっかりと受け止めるべきです。決して肩透かしをくわせたり,はたき込んではいけません。肩透かしをされると後味の悪さだけが残ります。子どものぶつかりを逃げてはいけません。頼りがいのある強い大人と思いこませて置かなければ,子どもがいじめなどで身の危険を感じたときでも親の懐に飛び込むことを躊躇してしまいます。
 このような父親を観察すると,子どもは自分が未熟であることを知り,自分にはできないことがたくさんあることを知ります。それでも親のまねをして生活の中でいろいろなことに手を出しやってみようとします(自律状態)。しかし実際は少しできて失敗します。そのときに適切な助言と助力そして励ましが不可欠です。子どもは再度挑戦する〈自立状態〉に入れます。
 子どもには本来伸びようとする意欲があると言われます。一方で食欲・性欲・名誉欲・物欲などの欲望の中に数え上げられることはありません。ということは大人になったら弱くなる欲望,言い換えれば大人になりたいという欲望だと思います。伸びようとする意欲と言われると放っておいても構わないと思ってしまいますが,人間が本来持っている欲望とは違ってかなり人為的な欲望のようです。駆り立ててやることが必要になります。大人が魅力のある存在でなければなりません。もし親が「どうせできもしないのだからやめなさい」とばかり言っていますと,子どもの周りに壁を作ってしまい,「どうせ私は」と意欲が生まれず何もしなくなります。

 第三の役割は,希望を持たせることです。「やった」と思わせることです。家族の団らんが大事なことは誰でも知っていますが,子どもにとって必要な団らんとは大人,父親と母親の間の団らんを子どもに見せつけることです。楽しげな語らいに参加したいと思わせられたら,子どもは育とうと思います。幼い子どもには子ども相手の団らんが必要ですが,いつまでもそれだけでは子どものためになりません。年齢を重ねるにつれて次第に親の話が分かるようになってきます。そのことが自分が育っているという実感をそそぎ込んでくれます。自分は未熟だが,それでも少しずつは親のレベルに近づいていると感じられれば,育とうという努力を続けることができます。成長への期待が持てます。

 「大人ってすごいな.大人っていいな」。そう思わせられる大人であることが,子どもが育とうとする要件であり,親の十分条件なのです。