《第5章 子育てから子育ちへ》

【5.4】新しい目標

 つい先程まで「追いつき追い越せ」が日本中のスローガンでした。教育の形態もすっかりその目標に特化してしまいました。到達すべきゴールがあって,それに向かって学習をすることが教育の基本形になりました。これは私たちの基本的な成長観にも影響を及ぼしています。
 例えば子どもが70点の答案をもらって帰ってきます。親は怒鳴りつけます。100点という到達すべき目標に届いていないことが無価値であるかのようです。目標に届いたときだけが成長の証なのだという思いこみがあります。しかしここで考え直してみましょう。学習することの出発点は0点だということです。勉強しなかったら0点です。勉強したから70点が獲得できたのです。確実に成長しています。成長するとはゼロからの前進です。100点でなければ前進していないと考えるのは親の間違いです。過去から今日まで勉強したから70点という成長を達成しています。残りの30点は明日からの成長に期待することが正しい認識です。100点でないからダメじゃないかと怒鳴りつけたら,折角獲得した70点まで無駄にしてしまいます。子どもを激励するつもりかもしれませんが,方法が誤っています。激励とは将来への期待の後押しをしてやることです。「今は70点の力がありますよ。残りの30点はどこが間違えたのだろうか」と子どもに将来への課題を明示してやることが本当の励ましです。
 生まれたばかりの小さな可愛い赤ちゃんを見て,「ダメじゃないの,こんなに小さくて,一人で歩けもしない」と嘆く母親はいないでしょう。赤ちゃんがこれから成長していくことを知っているからです。赤ちゃんはまさに0点です。やがて育ち歩き始めます。「ダメじゃないの,もっと背筋を伸ばして,美人になれませんよ」と言うお母さんはいません。最初から100点満点の歩き方をさせようという親はいません。歩けなかった赤ちゃんがよちよちした足取りではあっても歩き始めるのが確かな成長のプロセスです。成長を続けていけば歩き方も美しくなります。できないことが少しずつできるようになる0からの出発という,成長の流れを見守ることが忘れられています。成長観を再確認しておくべきです。
 日本が先進国になったとき,創造性の無さが喧伝され始めました。日本は物まねばかりというのです。「追いつき追い越せ」は先進国をまねすることでしたから,確かにその通りです。それでは今からどうやって創造性を身につけたらいいのでしょうか。創造性とは0からの出発です。何もないところから何かを生み出そうとする営みです。本当の成長観を身につけることが,創造性への王道です。

 子どもたちを無気力・無感動・無責任にしたのは,結局の所,私たち大人の怠慢さが原因であると述べておきました。親が大人と子どもの間のケジメをつけることを放棄したために,子どもに未熟感を持たせられず,同時に子どもにとっての魅力ある目標になれなくなったということです。それでは私たちは今日からどうすればいいのでしょうか。成長の大きな流れを大人が作り出さなければなりません。
 私たち大人が子どもよりも常に前を歩き,成長し続けなければならないということです。私たちウサギがのんびりと眠っている間に,子どもというカメに追いつかれてしまいました。大人もまだ本当のゴールには到達していないで,成長途上にあることに目覚めなければなりません。それでは今の安定した生活が最終ゴールではないとすれば,眠りから覚めた私たちはどこに向かって走り出せばよいのでしょうか。それは〈愛情状態〉にまで成熟することです。親子・夫婦の間で私たちは愛情状態にありますが,そこまでで途切れています。もっと多くの人に対しても愛情を注げるようになることが,私たち人間の夢であり目的です。袖振り合うも他生の縁という信条が昔はありました。決して不可能なことではありません。子どもの友達や近隣の人にまで愛の範囲を少しずつ広げていくことが,これから目指すべき成長の目的です。目的は理想であり,その実現のためには現実的な目標を設定しなければなりません。私たちが日常の中で心に掲げておくべき目標として心温計の目盛りである「人の役に立つ」ということを取り上げておきます。多くの人が努力してきましたが,それを一層進めようということです。献血に参加することなどは典型的な例になります。子どもに「偉いな」と単純に思わせられる親になれればと願います。理屈ではありません。
 我が子が補導されたとき,多くの母親は「うちの子は悪くはない。悪い友だちに誘われただけ。むしろ被害者です」と弁解するということを,補導関係の方から伺ったことがあります。この母親の言葉の中には
  ・我が子の非を認めたくない母親の逃げ
  ・我が子の実態を知らない無責任さ
  ・誘われて悪さをしてしまう我が子の意志の弱さ
といった問題があります。それはそれとして,この母親の言葉に対して最も気になることは,「うちの子の友だちが悪いこと,つまりよその子が悪いことに対して私は責任がない」という考え方です。地域の教育力とはうちの子をよくするためにその友だちにまで心を配ることだと思います。悪い友だちとのつきあいを止めさせるのではなく,うちの子と友だちを丸ごと正しく導いてやることが本当の子育てであることが理解されておりません。この無理解が一番問題です。我が子を含めた子ども集団を健全に育てるという親の深い愛情を示すべきです。親として大きくなることも親の成長です。
 私たちが今始めなければならないことは,大人として成熟する成長に気づくことです。誰かに任せてやってもらおうなどと虫のいいことを考えることは,甘えに過ぎません。大人のくせに〈対立状態〉にまで沈み込んでいます。親自身がすべての成長課題を100%達成できるように,自らにも子育て心温計を当ててみることです。