【6.3】印象づけ
親にはしつけをするという役割があります。子どもが親の言うことを聞こうという気にならなければ,しつけはうまくいきません。親はどのようにしつけに取り組めばいいのでしょうか。しつけを通して親は人間性を子どもにぶつけていかなければなりません。自分の人生観を形に出すことがしつけなのです。そのことが印象に残るしつけになります。
子どもたちは追いかけっこや取っ組み合いをして遊びます。そんなときはずみで友だちの首を絞めたりお腹を蹴ろうとすることがあります。他人に対して決してしてはいけないことをしでかします。喧嘩になったときに手に凶器を持つこともそうです。本人はそのつもりが無くても大変なことになります。冗談でもしてはいけないことは厳しく注意をしてやらなければなりません。真剣に叱るほど重大なことだと印象に残ります。人の弱点を囃し立てたり,人の物を断りなしに持ち出すことも同じです。いじめや自転車盗などの芽になることです。子どもにはことの重大さが分かりません。そこで小さな芽のうちに確実に親が摘み取っておくべきです。人を慈しむ親の気持ちを伝授して下さい。
我慢のできない子どもたちが増えたのは,親が安易に物を与えすぎるからと指摘されます。ところが親の方はもし与えないでいると子どもが万引きをしでかさないかと恐れて,万引きをされるよりはと考えて与えてしまいます。自分の子はまかり間違っても万引きはしないというしつけを怠っているからです。しつけというのは基本的な部分を怠ると,次のしつけができなくなります。積み上げていくものなのです。人命,人格に関わることは何をさておいても厳しくしつけておかなければなりません。
自転車の飛び出し・無灯火も,自分の命に関わることです。それなのに大目に見て見逃していることはありませんか。他人の子どもであれば怪我をしようが命を落とそうが知りませんから,他人は注意してくれません。親が注意しなくては子どもの命は守れません。さらに自分の命を大切にしようとしない人が他人の命を大事に思うはずがありません。シートベルトをしていないドライバーは自分の命さえ無頓着なのですから,他人には恐怖のドライバーになります。
小さな過ちを見逃さず大きく叱ることです。決して大目に見てはいけません。子どもがびっくりするくらいの真剣さで注意をして,しっかり印象づけることが大事です。
子どもは育ちの途上ですから,たくさんの失敗をします。失敗に対するしつけについて考えておかなければなりません。私たちは子どもが失敗しないように先回りをして,子どもから失敗を取り上げてはいないでしょうか。それが過保護の実態です。人にだまされて損をしたとき,高い授業料を払ったけれどこれも一つの勉強だと考えることがあります。つまり失敗が教材になるということです。子どもから失敗を取り上げたら,「こんなときにどうするか」という経験をする機会を失います。子育てでは子どもが失敗しないように育てるのではなくて,失敗したときにどうするかということを育てるべきです。
例えば忘れ物のしつけを考えましょう。教材を忘れて困っている子どもを,忘れたのが悪いと廊下に立たせるような罰を与えて見放すことはしてはなりません。隣の子どもが貸してくれれば,それが人の情けです。二人で交代で使うのでどちらも思うようには使えません。忘れた子どもはその不自由さが相手にとっても不自由なことだと分かり,迷惑をかけたという反省が生まれます。この反省こそが忘れ物をした子どもへの本当の教育的罰なのです。友だちが貸してくれたことをうれしく感じられれば,次に隣の子が忘れたときには喜んで貸してやろうとするでしょう。忘れ物という小さな失敗を次への育ちに役立てていくことができます。失敗を悪いことだと切り捨ててしまうのではなくて,常に成長の踏み石として利用するゆとりが,印象的なしつけへのポイントです。子どもの失敗は成長の芽であると再認識すべきです。
子どもがする小さな過ちは大きくならないうちに摘み取り,小さな失敗は大きく育てなければなりません。過ちと失敗を混同しないように気を付けましょう。
朝は晴れていたのに昼過ぎから曇り始め,子どもがびしょぬれになって帰ってきます。「朝あれだけ傘を持って行きなさいと言ったでしょ。あなたが持っていかないからよ」と口をとがらしていても,手にはそっとバスタオルを差し出している,これが親心でしょう。なんだかんだと言っていても,心では自分のことを心配してくれているんだということを子どもに印象づけて下さい。「バスタオルを出してちゃんと拭きなさいよ」と口で指図するのはよくありません。子どものために身体を動かさなければ,心は伝わりません。わざわざ自分のためにと気づかせることが大切です。ただしそれを恩に着せたり,「この忙しいのに」などと言っては逆効果です。さりげなく,それがコツです。
子どもはおみやげがとても好きです。お父さんが出張などから帰ってくると,おみやげを探し回ります。見つけたおみやげが欲しかったものと違うこともありますが,それでもうれしそうにしています。おみやげなんて大したものではないのに,どうして好きなんでしょう。ついでではあっても,わざわざ自分のために買ってきてくれたという気持ちがうれしいんです。家から離れていても自分のことを気にかけていてくれた証拠,それがおみやげです。いつも気にかけている必要はありません。何かの折りに心配していること,気にしていることを目に見える形で示してやって下さい。親の気持ちを印象づけておくことが,いざというときに役に立ちます。親心は子どもには伝わりにくいものなので,それなりの演出をする必要があるということです。
先生のところに女の子が,「森君が黒板に落書きしています」と言い付けて来ます。男の子は何でもすぐに先生に言い付ける女の子が嫌な存在でした。ところで先生が「そう。後で注意しておきましょうね」と答えたとすれば,女の子は満足するでしょうか。少し違うのではないかと思います。ある先生が「そう。いけないわね。でもあなたはしなかったのね。偉いわね」と受けました。そうすると女の子は「分かったんだね」とうれしそうに帰って行きました。そうです。女の子は言い付けに来たのではないのです。自分も落書きしたいなと思っていましたが,それを我慢していたのです。我慢していることをわざわざ先生に話しにはいけません。そこで言い付けるというきっかけを利用したのです。子どもは人を陥れようという悪意はなく,自分を分かってほしいだけです。ただ自分の気持ちを言葉にして表現する能力が育っていないのです。大人は表面的なことだけを見ていれば,子どもの心にまで届く働きかけができません。大人の目のほうが曇らないようにしなければなりません。言い付けたり,悪口を言ったりするとき,人は心の中で自分はそうではないという意識があります。大人でも世の中が悪いと言っているときは,本人は悪くはないと思っています。「そう,あなたは悪くはないよ」,「我慢して偉いね」,「よくがんばったね」と,その場に応じて認めてあげれば,やがて悪口は言わなくなります。印象づけるとは子どもの心を分かってやることなのです。