《第6章 子育てルネッサンス》

【6.4】継続は力

 子どもたちに教えておかねばならないこと,そして私たちがつい忘れてしうことについて述べておきたいと思います。それは時間の流れを意識し,明日を知るということです。子育てについては,今日よりも明日へ,子どもは育っていることを基本にする必要があるということです。
 小学生の自殺の記事がありました。朝登校している途中で,検便の容器を忘れてきたことに気づいて取りに帰りました。ところがどこにも見当たりません。そして自殺してしまいました。短い記事ですからそれ以上のことは分かりません。その日に提出しなければならなかったとしても,死をもって償うほどのことではありません。締め切りを過ぎて迷惑をかけるかもしれませんが,次の日,つまり明日でもよかったでしょう。今日を完全にしようとすると,抜け道がなくなります。今日できるだけのことをして,明日に希望をと考える余裕を持つ必要があります。子どもたちに「明日」というゆとりを与えなければなりません。子どもたちは「俺たちに明日はない」と追い詰められているような気がします。
 小さい子どもが駄々をこねます。「今でなくっちゃいや。明日はいや」。明日に希望をつなぐ意識を育てなければなりません。明日を期待することが我慢することの条件です。
 6年生が卒業を目前にすると,中学生になることへの抱負を寄せ書きすることがあります。その中に必ず「中学生になったらガンバル」という言葉が見られます。何か新しいことを始めようとするとき,「よーし,がんばるぞ」と誰もが決意します。激励する場合にも,「ガンバレ」と声援します。それではこのガンバルということは,具体的にはどういうことをすればいいのでしょうか。手近にある辞書を開くと「我慢し努力する」と書いてあります。確かにその通りですが,もうひとつピンときません。
 がんばるとは終わりを少しだけ延ばして続けることです。子どもが勉強しています。疲れてもう止めようと思ったとき,もう5分か10分間続けることです。このように考えればガンバルことがどういうことか,子どもにも分かります。運動会でリレー競技がありますが,リレーのポイントはバトンタッチの所にあります。次の走者の手元まで最後の力を振り絞って走っていきます。そのがんばりを次の走者は受け取って走り始めます。一旦立ち止まってはいません。止まることは無駄なのです。がんばる行為とは明日へのつながりのために,もう少し続けることです。ということは,明日が見えない限りがんばることはできないと言えます。新しいことを始めようとして明日が見えているとき,がんばるという覚悟が湧いてくる理由が分かっていただけると思います。
 子どもの答案が70点であるとき,今日は70点だと考えます。明日は80点にしようねと,明日への可能性を教えてやればいいのです。忘れ物が多いのも明日を見ていないからです。また明日という形で将来の見通しを持てれば,因果関係への気づきにつながります。「こうすればこうなる」という関係を考えることができます。廊下を走ったら人とぶつかるかもしれないから走らないと理解できます。子どもは自分の行動の波及結果を予測することが苦手です。衝動的とは先を考えずに,今の自分しかいないことです。時間はつながっており,自分は時間の上で生きていることを意識させてやるべきです。それが育てるということです。
 大人は時の流れを忘れていることがあります。今日も明日も同じと思っています。子どもの成長を通して年の過ぎることを感じるだけで,自分は変わらないと感じています。毎日が繰り返しだと考えていては成長がありませんし進歩もありません。時の流れを忘れたとき,将来という時間に埋め込まれている生きがいを掘り出すことはできないでしょう。明日のために今日を犠牲にするのではなく,今日を明日に続けようとすることが生きることであり,育つということです。継続が力になるのは,明日の可能性を期待できるときです。