*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【礼節の重さ?】

 社会教育関係組織においては,担当者の交代が数年毎に行われるのが通例でしょう。2年間,場合によっては毎年交代も珍しくありません。癒着という弊害を避ける組織としての自衛策ということは分かりますし,一方で公平に世話役を分担するという均等策であることも分かります。
 担当者が交代することによって,あたらしい風が組織にもたらされるという期待もあります。多様な人材による絶えざる発展が目論まれています。形式的にはその可能性が実現できる体制が整えられているのですが,十分に機能しているとは言えないような印象があります。
 組織リーダーの悩みは,新任者では踏襲することに力を奪われ,慣れてきて新しいことをはじめようとしても任期が切れてしまうことです。1,2の繰り返しで,3,4の展開にまで続いて行けないということです。また,組織間の連携においても,前任者の想いが途切れて,協力組織の方は放置されてしまうケースも起こってくるでしょう。
 引き継ぎの際に,実施行事の確認をすればまずは間違いないはずですが,それが疎かになっていると連携がぎくしゃくします。特に気をつけておくべきことは,組織外の協力体制を組んでいる場合です。組織は担当者が変わっても,対外的には連続性が保持されるという前提を崩さないことが大事です。組織の信用に関わることです。
 団体では,副会長が会長に昇任するという流れが定着していれば,指導の断絶は避けることができます。しかし,最近はこの昇任が敬遠される事情もあります。市町の組織でもこの連続性が断ち切られてしまうような人事が行われています。その背景には,指導者にも担当者にも関係者にも支援者にも協力者にも傍観者にも,社会教育への蔑視が潜んでいるのかもしれません。緊急かつ必要性という面では切り捨てられる分野という意識があるようです。
 衣食足りて礼節を知るの言葉に準えると,礼節は社会教育分野に当たるでしょう。衣食が足りなくなった世情になったとの判断が大勢を占めてきたのかもしれません。世情不安という暗雲を予感しているのであれば,当分社会教育分野の活動は休眠させられることでしょう。何が何でもというせっぱ詰まったものを抱え込んでいない社会教育とは,所詮こうあった方がいいという礼節に過ぎないということなのでしょうか?

(2001年09月22日)