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【学社融合?】
青少年の育成について,「学社連携」と「学社融合」というキーワードが混在して語られ,社会教育領域の現場では少なからず混乱が見られます。そこで,それぞれが何を表しているのか? その概念を整理しておくことが大切です。
まず,これらの言葉が語れてきた背景について簡単に触れておいた方がよいでしょう。学歴社会への道が固定化したことにより知識偏重という弊害が現れました。知っているだけで行動につながらない学力への失望が高まり,「生きる力」という新しい学力観が提唱されました。そのためのシステム論として「学社連携」というスタイルが持ち出されてきました。学校での学びを現実社会の活動に結びつけて,より深い理解と生きる力の醸成を図ろうとしたのです。
ところが,一方で国際化・情報化・長寿化といった社会の急激な変化に直面した大人たちは,自らの力が時代に付いていけなくなったことに気付き,また,リタイアした高齢者は生きがいを模索する余命を手にして,「生涯学習」に向けた歩みをはじめました。その流れの中で,青年期までの学習のみで一生を渡りきることが不可能であったことに考えが至りました。
このふたつの流れが合流するとき,「学社融合」というスタイルに自然に移行していきました。つまり,学校教育は生涯学習の基礎段階であるという位置づけがなされたわけです。
これまでは,青少年に対しては学校教育を,成人に対しては社会教育を,という役割分担が意識されてきましたが,生涯学習というくくり方をしたとき,一つの学習活動として捉えることが求められてきたのです。
そのような背景があるとしても,青少年を対象としている学社連携と学社融合はどのように理解をしておけばいいのでしょうか? そのことを明らかにすることで,今後の活動目標が具体化できるでしょう。
理解をするための視点を二つ定めておきます。一つは時間軸,もう一つは空間軸です。時間軸については,青少年という時期をどう考えるかということです。上述のように,一生の初期段階であることに変わりはありませんが,卒業という終止符を確定する学歴の意味が薄められ,生涯学習という連続した時間を想定しておかなければなりません。このことは基本概念ではありますが,連携と融合について、一次的には表立った違いを生むものではありません。
空間軸についての理解が大切です。学校という場と,社会(地域)という場をどのように把握するかによって連携と融合が違ってくるからです。学校と社会がそれぞれの立場を堅持した上で,それぞれの領域に入り込む形式が連携です。図で表現するとすれば,学校と社会を表す二つの円が離れていて,その円の中に届く個別の矢印線を引いてみてください。単一のアイテムごとのつながりが協力という連携です。
例えば,地域社会の人材(ヒト)による授業や体験学習,地域の施設(モノ)を利用した学外活動,地域の伝統行事等(コト)への参加による実践活動などがあります。これらは,あくまでも学校の授業の一環として取り組まれる活動になります。そこには出席を取るとか,感想文を書かせるいった形での評価なども入ることがあります。また,教職員を超える専門家が地域に在住しているという状況判断もあります。
連携と言えば,このような学校への参入といった形式が,現状では主流になっているようです。もちろん,地域という場に学校側から参入することもあり得るはずですが,地域には育成のプログラムが存在しないという事情があるために,一方通行になっているようです。ただ,地域における活動に青少年が参加できるようにするために学校側で授業や部活などの時間を割くといった協力をすれば,連携にあたります。校内マラソン大会を町内マラソン大会とドッキングするといった手だてもあります。
生涯学習との関連では,高齢の学習者が上級者として子どもたちに技芸や知識を伝授できるチャンスを得ることは,学習の仕上げとして,動機付けとして,喜びの醸成として,さらには異世代のつきあいから生まれる生きがいとして,意義を認めることができます。
次は融合について考えます。学校と社会が立場という垣根を取り払って,共に関わる領域を造り出すことが融合です。図で表すとすれば,二つの円を一部重なるように描いて,その共通部分が融合にあたります。そこは学校も地域も自分の領域になります。それでは,その共通部分とはどのように抽出すればいいのでしょうか?
学校について考えてみましょう。学校における学習は,授業による学科学習と生活による実践学習から成り立っています。簡単に言えば,勉強と生活です。勉強については学社連携が相応しいのは明らかです。一方,生活については,学校も地域もないはずです。人としての在り方をしつけるのは大人皆の役割だからです。それこそが学社融合の領域です。同時に,学校にオンブしてきたしつけ全般を家庭に取り戻し,学校をスリム化することができます。
例えば,人の話をチャント聞くことは授業の準備段階として不可欠であり,同時に社会人としての資質でもあります。集団で協力する体験は学校では同級生と,地域では異年齢間でと,それぞれ持ち味が出てきます。「生きる力」を育てるためには生活学習が不可欠だと考えれば,学社連携が学社融合に進化してきた理由も理解できます。しつけや犯罪行為の始末などは学校では背負いきれないという事情も勘案されるべきでしょう。
あいさつ運動も,基本的な社会生活実践ですから,学社融合と見なせます。それが形だけに終わるかどうかは,大人自らが挨拶するかどうかにかかっています。子どものための活動ではなくて,地域の活動に子どもを巻き込むという気運が伴って欲しいものです。学校と地域がそれぞれ自らの課題として取り組む活動であることが融合の条件だからです。
地域について考えると,例えば,学校での部活動が地域のクラブにつながりを持つという融合もあり得ます。先輩後輩の関係が学校だけではなく,地域の人材にまで拡大していけば,学校だけの狭い世界から抜け出せるはずです。中学生になると地域とのつながりが切れるという現状は,地域が中学生も入り込める体制を整えていないせいです。地域のクラブに入ればもっと上手になれるといったメリットがあれば,進んで参入できます。その形はまさに生涯学習そのものと言えるでしょう。
最後に,トータルプランナーとしての社会教育委員には,学社融合に向けてどのようなことが期待されているのでしょうか? いくつかの項目を挙げておきましょう。
1.システムの構築
既存の組織を連携。例えば,学校と地域のトップ会議を定例化。
行事や活動のトータルプログラムを策定。
2.連結人材の育成
単なる指導者ではなく,パイプ役となるキーマン。
統括機能を備えた事務局を設置。
3.教育資源の活用
地域伝統行事の意義を再確認。
人的資源のデータベース化。
4.情報環境の整備
団体広報の連携化を誘導(他団体行事案内掲載)。
情報センターの設置。
5.意識啓発の推進
関係職員,関係委員,行政当局などへの説得。
関係団体の活動方針を再検討。
社会的な活動の要諦は,新しいものを創出することよりも,既存のシステムに一つの目的に向かう動きを与えることです。それぞれが少しずつでも,揃って動けば,それは十分に社会を動かす力に結集できます。社会教育委員のさじ加減一つで,地域社会の味わいが変わります。スプーン一杯のお酒をナベに添えただけでコクが出るということです。その気になれば,十分に可能です。そう信じましょう!
(2001年10月05日)
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