*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【社会教育委員の役割?:その1】

 社会教育委員になってみたら,その役割の曖昧さが考えるほどに増殖してくるようです。何をすればいいのか,何が期待されているのか? そんな問いかけに明快に答えられないもどかしさが,やがてそのまま慢性的に沈滞していきます。
 団体をバックに背負っている委員は,自らの組織リーダー性を発揮することで委員としての社会教育活動を補填していきます。そうすることでしか,社会教育に関わる道筋が実感できないためです。社会教育関係の研修会で発表されている諸活動は,確かに社会教育活動に違いはありません。しかし,そこに社会教育委員の関与は全く見ることができません。もちろん表立った活動をすることが元々期待されていないのですから当然だとはいえ,何をしたらいいのかを探し求めている委員にとってはどうにも切ない研修になります。
 社会教育委員がいなくても社会教育活動は可能なのです。それぞれの関係団体が着実に活動を進めている限り,社会教育委員は開店休業だと言えるかもしれません。それでいいのです。しかしながら,よりよい活動を目指そうとするとき,あるいは,そのような気運を育てようとするとき,社会教育委員の出番があります。どのようなことを考えていけばいいのか,いくつかのポイントを挙げておきます。

1.社会教育関係団体等の活性化を目指して
 団体リーダーへの内なるアドバイスをすることが考えられます。リーダーの最大の悩みは「参加者数が少ない」というものです。でも,その悩みを「どのように解きほぐしていったらいいのか?」という手がかりを見つけられないままでいることが多いようです。
 事業によっては出席を取ることのできるものがあるでしょう。その数字を記録して,「対前年比」を算出します。時期や天候具合,企画内容,案内の違いなど,参加に影響する因子を重ねて,次回への課題を抽出することが大事です。こうしたら増えた,こうしたら減った,そういう経験を団体が積み重ねることによって,一歩ずつ着実によい方向に進むことができます。
 悩んで愚痴をこぼすだけではリーダーではありません。何ができるかを探す工夫を手にしていなければなりません。闇雲に参加を増やすことはできないのです。このように,リーダーを育てることが社会教育委員の役割です。研修で学び取ることは発表しているリーダーがどんな工夫をしたから活動がうまくいったのかを聞き取ることであり,それを地元のリーダーに伝授することです。

2.行政と住民のリンク役として
 行政側では何らかの計画に基づいて施策が実行されていきます。その中には例えば「まちづくり」といった社会教育分野も必ず含まれます。そこで,その計画書を熟読し,どのような状勢判断に基づいて,どのような目標に向けて,どのような施策を,どのように実行しようとしているのかを理解することが社会教育委員の役割です。
 たとえば,計画書に「地域コミュニティ」というキーワードを使っていたら,行政が想定している内容を把握しなければなりません。なぜなら,キーワードの一人歩きが問題を産み出すからです。行政の考えている地域コミュニティと,住民がイメージしている地域コミュニティは往々にしてすれ違っているからです。行政側は具体的な施策を打ち出す必要上から,限定化を余儀なくされます。他方で住民側が抱く要望はあれもこれもという膨張化に向かいます。同じキーワードを語りあっていても,そこには自ずからギャップが内包してくることになり,具体化が進展するにつれて,住民側の失望を招くことになります。地域コミュニティについて言えば,行政側は青年団,婦人会などの各種団体による地域活動をターゲットとして支援策を想定していますが,住民側が願うであろう地域コミュニティはおそらくそのような団体活動ではないはずです。結果として行政側は可能な支援をした,住民は何もしてもらっていないというすれ違いが目に見えます。
 実は,このギャップを少しでも埋めようとするリンク役が社会教育委員の役割なのです。まず,「地域コミュニティ」というキーワードを明確な形で定義することです。明確にということは,あれもこれも含めていったら不可能になります。つまり,重要なポイントだけを選び出して,骨子化することが必要です(この点については,別項として後日書くつもりです)。そうすれば,行政の施策はどの部分に当たるのか,限定化によって何が足りなくなっているかを共通理解できるようになります。その上で,具体的施策をどのように生かす方策があるのかを考え,同時に住民側に何が求められているのかもクリアになります。社会教育活動は本質的に行政に何かをしてもらうことではなくて,自らが関わることだからです。もちろん住民にできない部分は行政の支援が必要なことは言うまでもありません。行政の限られた支援と住民の積極的な自発性を有効に結びつけること,そこに社会教育委員としての働き場所が見出されるはずです。
 例として挙げている地域コミュニティについて考えれば,行政は各種団体活動の支援をし,それらが地域活動の拠点になっていけば,住民がまとまりを持つ機会が得られ,そこに人の輪が育まれ,地域がコミュニティ化していく道筋が一つ生まれます。もちろんそれだけでは一気に目標が達成されるわけではありませんが,一つひとつやり遂げていくことしかできません。各種団体には自らの目的に添った活動だけしていればいいという閉鎖性が必然的に存在しますが,社会教育関係団体としては地域の組織としての活動もゆるがせにはできません。あらゆる団体が地域のコミュニティ化に向けた活動を少しだけ意識すれば,大きな力を発揮できるはずですし,そうし向けることが団体への社会教育委員からの指導・助言でなければなりません。


 とりあえず,機会があったので,社会教育委員の役割について考えていることを一部ですが述べました。役割は基本的に見えないのです。見えてはいけないのかもしれません。子どもが自分一人で育ったような顔をすることがあります。親がどれほど苦労して育てたかも知らずに,と親は苦笑いをするものです。育った子どもの何処に親の役割が見えるかというと,それは見えません。見えなくてもいいのです。社会教育活動が一人前に育つように親の立場で見守ることしかできない,それが社会教育委員の宿命のような気がしています。
(2001年12月16日)