*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【社会教育と生涯学習?】

 行政の組織名称はゆっくりではありますが,時代の流れに動かされることがあります。社会教育課が消えて生涯学習課に変わっています。社会教育に関わる者には,二つの名称の違いが掴まえどころがなく,話の中でちゃんと使い分けているとは言い難い節があります。少し整理をしておきましょう。

 社会教育と対になるものに助けを求めます。図形問題における補助線を引こうというわけです。学校教育との関係を見ることで,二つの概念の意味を明らかにできるのではないかという期待です。

 学校教育以外の教育分野を社会教育と呼んでいます。「以外」という言葉が社会教育のキーワードです。教育を二分するイメージであり,学校以外の場所や機関等での教育活動になります。その空間的分離意識が基盤にあるからこそ,学社連携や学社融合という手法が可能になります。空間的教育論ですから図形的に表現することができて,学校教育という円を取り巻く周辺が社会教育ということになります。具体的には,校区といった地域がイメージされます。学校週五日制への対応,つまり週二日制になる側としての家庭や地域が社会教育の範疇に入ってきます。

 一方で,学校教育以降の教育分野が生涯教育です。「以降」という言葉が生涯教育のキーワードになります。学校教育につながるものです。そこには,連続した時間の流れの上で教育を捉えています。学校を卒業後,生涯にわたる時間的教育が必要であるという考え方です。社会教育とは思考の軸が全く別であり,図式化できません。生涯教育を行う場所としては,学校を含めてあらゆる場所になり,当然のこととして社会教育領域も取り込まれています。その重なりが混乱の原因です。

 生涯教育が生涯学習に変わっているのはなぜでしょう。教育は組織的に行われることが前提ですが,生涯にわたって国民の教育を引き受ける組織は存在しませんし,不可能でしょう。それは学習者に一任すべきものでもあります。とするなら,学校教育に続くものというイメージは成り立ちません。かろうじて学習というキーワードに関連性を期待するしかないのです。現実的には生涯教育は不可能であり,生涯学習としか言えないということです。

 学校教育と並ぶものとして社会教育は定義可能ですが,生涯教育なるものは実態が無く,生涯学習となるとこれは学習者の方に主体が転移しており,教育というイメージでは括れなくなっています。社会教育は生涯学習に移行できるものではありません。全く別の概念物なのです。

 少なくとも行政組織が名乗るのは筋違いです。名乗ろうとするなら,無謀を承知で生涯教育でなければなりません。生涯学習は住民側が使うべき言葉だからです。また,社会教育に関わる者が生涯学習を語るときに,無意識的に生涯教育と混同しているために論理的なスキップを起こし,混乱が生まれてしまいます。簡単に言えば,生徒の遊びに先生が先生の立場で割り込もうとして,先生としての対応を見失うようなものです。教育する側の先生は生涯学習を語ってはいけないのです。教育活動と学習活動,何となくつながっているように思えますが,立場が逆であることを忘れないようにすべきです。

(2002年04月15日)