*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【社会教育の箴言?】

 社会教育に関わる者が,本音の基盤に密かに据えておくべき心構えを箴言風にまとめておきます。平成14年度に,毎月の定例会議の折りに委員さんに提示してきたものです。半分冗談ですが,半分は本気です。ご笑覧下さい。

  第1章:社会教育委員とは,印籠を持たない黄門様である。
      心は,何の権限も持たされていない虚しさ!

  第2章:社会教育とは,川の流れを集めたダムの水門である。
      心は,混在する世の流れを調整して安定を図りたい!

  第3章:生涯学習とは,いつでもどこでもできるはずの手習いである。
      心は,好きこそ上手だが,自覚が伴わない!

  第4章:成人教育とは,成人式に付帯する卒業認定教育である。
      心は,大人の秘密を見つけるほろ苦い冒険の旅!

  第5章:社会体育とは,暮らしの健康なうっぷん晴らしである。
      心は,軽い乗りで続けていけばアマチュアには!

  第6章:社会文化とは,所在なさを粋に過ごす仕掛けである。
      心は,暇のままに放置すると,まちにカビが生える?

  第7章:人権教育とは,人生旅路の道標である。
      心は,急ぎすぎて見落とすと迷い子になる?

  第8章:健全育成とは,大人が犯した過失への償いである。
      心は,先に生まれたものの救いと希望になる?

  第9章:中央公民館とは,大人がやり残した遊びを覚える巣窟である。
      心は,安上がりであるが故に面白くなかろうに!

  第10章:自治公民館とは,地域活力の最後の井戸である。
      心は,参画がなければ涸れ井戸になる?

  第11章:まちづくりとは,居眠りの娘さんに肩を貸すことである。
      心は,お隣が気になる人の温かさな応援である?

  第12章:指導者とは,孤独に耐えられるのぼせ者である。
      心は,一歩先で楽しげに踊ってみせる道化?

 教育は建前を身上として営まれるものです。いわゆる正論が罷り通るのが本筋です。しかしながら,社会教育では必ずしもそうとばかりはいきません。かなり本音が見え隠れするものです。例えば,活動にしても,実施した方がいいことは分かっているが,先立つ金がないといった現実が立ちはだかります。そのようなさまざまな本音を素通りしていては事が運びません。その片鱗を真摯に感じていただければ幸いです。

(2003年07月20日)