*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【全国研修大会の感想?】

 全国研究大会に出席のため,奈良市を訪ねました。3日にわたる研修日程を真面目にこなし,わずかな合間に二カ所の観光をしてきました。真面目にとわざわざことわるところがご愛敬ですが,印象として2,3割ほどの参加者が途中退出をしているようでした。公金による参加なのにと,ご同輩として真面目に心配です。いずれの自治体でも厳しい財政事情にあるはずです。歳出の押さえ込みが実施される場合には,出張の削減が手始めになるはずです。研修が費用対効果の評価に耐えられるように留意しておくべきなのに,自らそれを放棄する所業はあまりに無頓着です。
 研修の場では,協議や意見交換があります。参加した分科会だけかもしれませんが,あまり感心できません。協議のテーマに沿った展開がありません。フロアからの発表が我田引水を通り抜けて,何の脈絡もない方に飛んでいきます。聞いていると,「それで」と言いたくなります。人の話を聞いて自分の話をつないでいくという素養があまりになさ過ぎます。協議になりません。意見にしても無駄な前置きが長すぎます。発表したという実績だけに意識が向いているのかもしれません。
 協議とは,問題意識を共有しておかなければ始まりません。ところが,おしゃべり感覚に留まると,連想ゲームのようにあらぬ方向に飛び火します。もちろん問題について語る場合にも,その切り口は幾つかあります。その選択は自由ですが,内容は問題から外れないように自制すべきです。
 「それから・・・」という展開が要注意です。論理の展開につながるのならいいのですが,関連事項という名の下に脇道に踏み込んでしまうことの方が多くなります。実のところ,協議の軌道を保つのは司会の役割です。枝葉の議論を剪定し,幹を太らせる采配が働けばいいのですが,その作業はかなり高等技術になります。逸れた話はばっさりと打ち切る厳しさが求められるからです。整理するとは峻別することであり,司会はその権限を与えられているのです。
 一方で,研究大会には具体的な実践情報を交換するという期待もあります。そこではどんな問題意識からどんな実践をしたのかということが要領よく発表されるはずです。しかしながら,実際は発表された事例とは全くかけ離れた話が飛び出してきます。協議を深めるためには,同じ論点に沿わなければなりません。あっちこっち掘り返すだけで,どうなったのか分からないままに時間切れです。
 そんなドタバタの研修ですが,学ぶ方がそれなりの聞き取りをすれば,ためになる結果を得ることはできます。最も大事なことは,自分の中に吸収した学びを,どのように市町の活動に向けて生かすかということです。報告書にまとめたり,類似の実践を立ち上げたり,参考にしたり,新しい工夫を生み出す種にしたりと,道は多様ですが,必ず形に表すべきです。それも参加の熱気が冷めないうちがいいでしょう。

(2003年10月11日)