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【少子高齢化とは?】
現在の社会構造を特徴づけるキーワードは,高齢化と少子化です。この二つの現象はそれぞれが独立に起こっていると考えられていますが,実のところ根っこは全く同じなのです。どちらも皆が望むことであれば,ますますいい世の中がやってくることになります。しかしながら,世間の声は心配する方が多いようです。もう少し細かくみると,高齢化は長生きですから望ましいのですが,少子化は困るということです。多子化に転換しようという問題提起が識者からは出てきます。実際的な問題意識は,少子社会では高齢化を支えきれなくなるという推察から派生しています。長寿は次代へのお荷物なのです。
ところで,高齢化と少子化はセットになるべきものであり,どちらか一方を選ぶことはできない相談なのです。自然の摂理に反することです。豊かな生活,いわゆる贅沢な暮らし,安全で快適な暮らしが実現したから長寿になったのですが,長生きできる環境では生殖機能が抑え込まれます。そこで必然的に少子化傾向が出現するということです。貧しい環境では成人が生きづらいので,早く子孫を残さなければならないために生殖機能が活発になり,結果として多子化になります。種の保存という本能が働きます。栄えるものが滅びていくという歴史上の教えは,一人の繁栄が収奪に踏み越したときに他の保存を脅かすことになるという計らいを意味しています。遺伝子の深遠なプログラムは恐るべきものです。
長寿化を望んではいけないということではありません。それも本能の末です。豊かさは必要ですが,ある程度の豊かさという自制がかぶさっていなければなりません。一人豊かなのではなく,他を巻き込んで豊かになるという共生が唯一の選ぶべき道です。必要以上の飽食の豊かさは自然の中では危険なパターンとして検知され,破滅のスイッチが入ります。ギリギリのところで,それを阻止しなければなりません。少子化というステージに分け入っている今,それを弁えている者がいたにしても,余程の権力を持たない限り即効的な抑制はできないでしょう。傍観しているしかないと運命の底力を思い知らされるばかりです。
日本という民族が歩む道は,先細りになるようです。個人を大切にするという選択をした以上,民族がどうなろうと知ったことではないでしょう。愛国心など消し去ろうという浅はかで偏狭な思慮しかできない民族には,相応しい末路です。私は人間! その宣言の陰に潜む奢りの意味を感じる力を失ったとき,存在自体が透明になって消えていきます。人の知恵とは所詮その程度のわがままなものです。
こうして投げ出し高みの見物を決め込むのは,楽です。しかしながら,それでも人を好きな者はなんとかできないかと考えます。考える力とは,諦めるためにあるのではなくて,何事かを成し遂げようとするために発揮するものです。社会教育や生涯学習という場のなかでは,一人が生きる意味を見つけようとする過程の中で,結局は共生という広がりと将来へのやり残しに気づくという目標が設定されています。空間軸と時間軸を大きくとって,その中での自分の生き様を検証する学習をしてほしいものです。
(2004年01月30日)
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