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【学習の必須アイテム?】
ある一連の講座で,基礎講座という講演を依頼されました。初回に位置づけられているので,啓発もしくは入門編という内容で概論をお話ししました。個々の具体的なテーマについては後続の講座に任せて,共通の基本的な留意点や指針を提供したのですが,今ひとつ納得のいかない思いが残ってしまいました。自分の話した内容を,聞く立場になって振り返ってチェックしてみると,一応の筋書き通りにはなっており,必要なことは網羅できています。それでも,何かが違っているのです。
初めての方にとっては,留意点など聞かされても,確かに理解はできるはずですが,「そうか」という形で腑に落ちるということにはならないのです。何かしらの問題意識はまだ持っていないまっさらな状態に,「こんなことに気をつけて」と話してみても,その意味が見えてくるはずはありません。何かが欲しいという状態に,相応しいことが提供できたら,「それが欲しかった」と飛びついてくれるはずです。そのときに,講演者と聴衆は気持ちがカチッと噛み合えます。
畳の上での水練。机上の空論。いずれも実体験を伴わない理論の虚しさを指弾しています。とはいえ,電気製品を前にしたとき,マニュアルに一応目を通さなければ扱えないのも実体験です。そこで,基礎講座では,スイッチの入れ方と切り方を教える程度のことで済ますようにしました。それにはわけがあります。パソコンや携帯電話のマニュアルは,簡単な操作手引と本格的なマニュアルの2分冊になっています。取りあえずは,手引で実体験をしながら,少し込み入った操作については,その都度確認していくという習熟法です。基礎講座は手引であるということであり,その後は,何をしたいのかという課題があれば,理解が納得に直結できます。
このプロセスは新しいことを学ぶ上で,大事なポイントを示唆しています。例えば,パソコン教室で操作を学びます。教えてもらっているときにはできたのに,復習のつもりで自分でやってみるとうまくいきません。手順を飛ばしたり,順番を間違えたりしているのですが,そのことに気がつきません。覚えはじめはそれでいいのです。し損じるから,覚えることができます。問題はその後にあります。一応の操作を覚えても,そこで止まってしまいます。したいことがあれば,マニュアルに誘われて前に進みます。メールをしたいという漠然とした思いではなくて,メールをしたい相手が現実にいるということです。何のためにパソコンを使うかという目標がはっきりしていなければ,学びは成功しないということです。もちろん,このことは学ぶ側の態勢の問題です。
ところで,講座を企画する側は,どのようなことに配慮したらいいのでしょう。手引とマニュアルの2分冊を用意して配布することです。自学自習ができる手だてを与えておけば,学習者の意欲に委ねることができます。開設した講座に出席してくる行動を起こしている人たちですから,意欲の保証はあるはずです。講座を開設する事務的な手続は簡単です。それなりの講師を依頼することもできます。しかし,その場限りの話だけでは,学習は身に付きません。実践と学習が同時に進まなければなりません。そのためのテキストが不可欠です。そのテキストを作るのはかなり高度なテクニックを要しますが,教科書的なものを書ける人材はいるはずです。そこまではやれないと思うでしょうが,ゴールが見えているかいないかは,講座を本気で成功させようとする企画者には大事なことです。
依頼を受けた基礎講座では,手引となるような要点を後で読み返せるように,資料として整えてお配りしておきました。通常は項目だけのレジメが普通ですが,それでは後で目を通すというのには役に立ちません。十分なものではありませんが,せめてもの講演者からの気配りです。
(2004年03月24日)
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