*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【計画倒れ?】

 NHKのご近所の底力という番組で,元泥棒という人が防犯アドバイザーとして登場していました。狙いにくい家の条件を教えてくれていましたが,見通しがよい,歩くと音が出る砂利,センサー設置,これ見よがしの二重鍵などでした。特に目新しいことはなかったのですが,まちのイメージとしての注意が印象に残りました。掲示板に貼られている防犯のポスターが古ぼけているようなまちは狙いやすいというのです。防犯意識が薄いと見て取れるそうです。言われてみれば,そうです。

 真新しいポスターがいつも貼られているようなら,関心があると言えます。いつ貼ったのか分からない色褪せたポスターを見れば,無関心を吹聴しているようなものです。掲示物はこまめに変えてこそ効果があります。慣れという人の習性は,忘却につながります。あるのに見えないという不思議なことが起こります。人の機微を弁えていないと,折角の啓発も効果がありません。思いついたようにポスターを作って配っても,繰り返しがなければ効果は期待できません。
 いろんな啓発が取りあえず一度はやったということで,済まされています。リフレッシュすることで関心を喚起する手続が顧みられていません。少しでもコマーシャリズムの世界を観察していれば分かる基礎的なことですが,全く無関心です。情報を送り出す方が確実に伝えようとする意欲がないのに,届くはずがありません。それなりの予算を使うのに,費用対効果をないがしろにしているとしか思えません。人ごとといういい加減さが感じられます。まさにお役所仕事です。

 啓発だけに限りません。施策の方針にしてもいい加減です。例えば,行政の長期計画が発表されます。立派な冊子となってできあがります。しかしながら,それは業者に依頼して作成された形ばかりのものです。何よりも行政自らが自らの方針として一顧だにしていません。幹部職員は目を通したこともないのです。それは業者に頼んで作った画餅という受け止め方です。予算を使って自分たちの計画を部外者に作ってもらって読みもしない,それで事足れりという怠けた心構えで何ができるでしょう。もちろん審議会といった各界の代表からなる組織で慎重に審議したという形式は踏んでいますが,尊重するに値する論議を深めたと思われていません。
 明日に向かって何をどう進めるか,それは仕事をする上での必須の課題です。目標のない仕事はあり得ません。前年比アップという実績を背負っている業界の仕事ぶりに比べて,行政の業務は生ぬるいと思われています。それは住民に目標を公開していないからです。確かに首長は公約という責務を負っていますが,行政は何の約束も表明してはいません。行政としての施策計画を公開する価値がどれほどのものであるかという覚悟が見えてきません。残念です。
 生活や健康,税金や建設などの暮らしに直接関わることについては,住民の関心も深いのでなんとか対処していればことが運んでいきます。今日に関心があるから明日のことはそれほど関心が向きません。しかしながら,よりよい明日,子どもたちに受け渡す将来に関わる事柄については,今日をしのいでいるだけでは不十分です。明日に向けた指針がなければどうしようもありません。計画が大事だと思うこともありますが,三日坊主になっているのは,個人も社会も同じようです。住民が明日に期待と不安を抱いている領域を特定して,揺さぶっていくことが求められています。

(2004年03月27日)