*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【縁結び?】

 4月3日の新聞に内閣府がまとめた国民生活選好度調査のまとめが掲載されていました。「近所と親しい」の回答は,2003年が計34.4%で,1997年が42.3%,1994年が45.9%となっており,調査を重ねる毎に近隣との関わりを避ける傾向が強まっていることが分かります。3人中の2人が近所と親しくしていないのです。この傾向は若い年齢層ほど強くなっています。
 大都市近郊に位置するご近所には,10軒以下の賃貸住宅がぽつぽつと建っています。小行政区の人口構成も借家人口の割合が過半数を超えるようになりました。地域の社会教育活動を計画する場合,借家の方の参加気運の低さが問題になります。賃貸住まいの多くを占める独身者や若い家族はほとんど周りの方とのつながりがありません。かろうじて幼い子どものいる家庭が同じアパート内でつながっている程度です。一方,借家でない方,つまり持ち家という区分けをされている方も,故郷とする方と移住された方に分けられます。移住してきた方は同じご近所とつきあっていますが,元々から住んでいる方とは疎遠です。地域は三層に分断されているのです。
 地縁という物差しで測れば,かなりの温度差がある三者を結びつけることは難しいと思われます。かわりに知縁という言葉が持ち出されました。知識や知己といった縁によるつながりです。言い換えれば,共有する何かを持ち合うということです。人を結びつける道筋として縁にこだわることは正しい選択です。問題は共通する何かを見つけられるかということです。ここまでの洞察は識者がしてくれる結論と同じです。社会教育の実践者は,ここから考察が始まります。

 地縁というのは,同じ土地に住んでいるという形のみではありません。同じ土地に住むことで,暮らしのあれこれがつながっているという実体があったはずです。地縁が壊れてきたのも,暮らしぶりが近所と関わりなく営める環境があるからです。そのような環境が間違っているというのではありません。それを言ってみたところで詮無いことです。見方をずらしてみましょう。今の流行は構造改革です。構造というと形に意識が向きますが,構造には機能や目的という中心となる概念が不可欠です。目的のない構造はあり得ません。構造改革が停滞している要因は,構造という形に目がいって,目的を探索していないからです。新しい機能や目的を策定すれば,自ずから必要な構造は決まってくるはずです。
 縁を結ぶ目的は何か,その選択が問題の中心です。心安らかに穏やかに楽しく暮らすことを目指す,それはありきたりですが異論のある人はいないでしょう。安らかとはどういうことか,そのためには一人一人が何を為せばいいのか,それができる構造はどんなものか,それが設計を進める流れです。
 問題意識は三層に分断されている住民構成に向かいます。若い親たちにとって子どもの健やかな育ちは,大きな関心事です。そこに縁の力を創造できる道があります。わが子の育ちは親だけでは成立しないという事実に則って,人の結びつきを明確に組み上げてみせる必要があります。先ずは子どもたちという集団を育むことからはじめます。この機能は学校の指導に委託します。子ども集団が現れると,親たちも無理なく集団化します。この機能はPTAの地域活動や育成会組織に委ねられます。集団を生かす原則は知り合うこと,学び合うこと,助け合うことの3ステップですから,集団化して知り合えば,第一歩が踏み出されることになります。
 お年寄りにとっても子どもとの接点は心安まるものです。幼老融合という構造の一端が見えてきます。特に核家族化の定着のせいで,我が孫は遠くに離れていて身近にいません。ご近所の幼子が孫代わりになれます。行事による出会いを知り合うきっかけにしようと企画が進められますが,最も大事なことは共同できる活動を中心におくことです。一緒に何かをやり遂げたという共同行為が仲間意識を生み,それがご縁になるからです。
 旧住民と新住民といった気持ちに風穴を通すには,どうすればいいのでしょう? 手がかりは小学校というポイントを足がかりにした校区コミュニティの誕生です。この件については,改めて触れることにします。
(2004年04月12日)