*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【PTA総会での祝辞?】

 歴代会長という名誉職の呼称があります。辞めていった方はそれっきりになるのが普通ですが,社会教育関係団体の中には,そのご縁をつないでおこうとする場合もあります。特に定期総会のような晴れやかな式典の際には,来賓という形式で列席を請われます。枯れ木のにぎわいというわけです。前職ならまだしも,元職に繰り上がってしまうと,なんとなく疎遠になるものでしょう。ご招待をしても,なしのつぶてということがほとんどです。
 社会教育委員を引き受けていることから,現場の雰囲気を掴む意味で,関係していた単位PTA総会に参列しています。いつまでも古株が押しかけて迷惑でしょうが,なるべく隅で大人しくしているつもりです。ところが,歴代会長という並びになると,出席者の中で最先任となり,祝辞を仰せつかる羽目に追い込まれます。実は初代の会長が長い間その役を務めておられたのですが,数年前に亡くなられました。その間,総会にはすっかりご無沙汰をしていたのです。その後,数代を飛び越して祝辞役を依頼されることになりました。社会教育委員をしているということで,準現役とみなされたのかもしれません。
 今年もまもなくその日がやってきます。なるべく機会を独占しないように,他の会長に先ず頼んでみるように現会長にお願いしておきました。たとえこれまでが欠席がちであっても,お願いの筋があれば,腰を上げてくださるかもしれないし,なにより声を掛けることが丁重な処遇の証になると考えたからです。もちろん,古い方にとっては長いブランクがありすっかり忘れてしまっているという状況もあるので,ご無理は言えません。それでも,出欠の決定権をお届けすることが大切です。あの方はどうせ出席はされないだろうから声を掛けないでもいいだろうと,こちらが勝手に決めつけることが失礼なのです。それでも,結局,投げた玉は跳ね返ってきました。

 そうなると,悩みがもう一つ降りかかってきます。何をお話しするかという悩みです。型どおりのあいさつなど御免です。一期一会の作法に適うあいさつを心掛けている以上,じっくりと話材を厳選しなければなりません。どんな情報を喜んで頂けるか,それは聞き手の状況把握に掛かっています。若いお母さんたちの気持ちがどこにあるかを,読み取れるかどうかです。それは大づかみをすれば,子育ての自信が持てないということだと承知をしていますが,どこが勘所になるかが問題です。


 PTA総会にお招きを頂きありがとうございます。そのお礼として,総会の前菜のつもりで一つのお話をさせて頂きます。
 1年生の算数のテストがありました。「つぎのこたえをかきなさい」という問題が出ました。ある子どもが次のような答えを書きました。

 2+2=5 1+4=6 5+3=9 6+1=8 4+5=10

 当然ですが,全部「×」がついて,0点になりました。子どもはがっかりして,この採点用紙を家にもって帰って,泣きながら母親にみせました。母親は愕然としました。「0点!」。しかし,気を落ち着かせて,よく見てから,にっこり笑って言いました。「全部,あっているじゃないの。まちがってないわよ。お母さんなら,全部丸をつけてあげるわ」。そう言ってから赤鉛筆で大きな丸をつけて,100点と書いて,子どもをだきしめてやりました。
 お母さんの行為の意味が分かりましたか? それよりも,なぜ子どもが泣いたのか分かりますか? 「次の答えを書け」というので,子どもは正答の次の数字を答えとして書いたのです。「2+2=4」ですが,4の次の数は5なので「5」と書いたというわけなのです。その子どもは答えを書く前に「次の答えって何?」と一生懸命に考えたことでしょう。これ以外にないと思って,自信を持って答えたはずです。でもそれをすべて拒否されました。だから泣いたのです。決していい加減な答えではなかったからです。そのことをしっかりと受け止めてやらなければなりません。
 総会の前に参観をされました。教室の後や窓越しに見ている皆さんは見守っていました。でも子どもの方は見張られていると感じています。親のつもりが,子どもに伝わらないのは何か要因があるはずです。子どもはいろんな間違いをします。その間違いを咎めるのが見張ることです。そうではなくて,どこが間違えているのか,子どもの考え方に一理はないか,子どもに寄り添ったチェックをしてやることが見守りの目です。間違いの中にこそ子どもを見つけてやる優しさが,見守ることなのです。

 PTAは学ぶ集団です。事業をすることも必要ですが,そこで子育てを学ぶという目標を見失っていけません。どうぞ,この一年の活動の中で,皆さんがしっかりと学ばれることを願って,祝辞とさせて頂きます。ありがとうございました。



 祝辞の長いのはルール違反ですから,実際には手短に要所だけをお話しいたしました。皆さんに「そうかな」というかすかな刺激でも伝えることができたら十分です。祝辞という枠の中で聞き手に期待された話ではなかったというハンディを負いますが,それも一興というのが話し手の意図ですから仕方ありません。このスタイルは個性と受け止めて頂いたはずです。いずれ感想を伝え聞くこともあるでしょう。

(2004年04月27日)