|
【毎月の会議は必要?】
社会教育委員の会議は毎月定例開催が常態であると思っています。委員になって参加した会議がそうであったからです。県全体のまとめを見ると,我が地区(旧郡部)のほかは,年に数回という開催頻度です。計画案の報告を受けて承認するという内容でことが済んでいるようです。実際上,社会教育活動は社会教育課と関係団体の連携で進められており,委員は脇に置かれていても何の支障もないということなのでしょうか?
研修会で発表されている活動報告も,社会教育委員の活動は見当たらず,公的機関や団体組織によるものがほとんどです。確かに,活動は実践されてこそ意味があるので,実行役割を付与されていない委員は参画できません。教育委員会不要論も出てくる時勢の中で,ぶら下がっている社会教育委員の会など問題にもならないようです。何をすればいいのかということについて,識者からいろいろな示唆がなされても,四面楚歌という現状では絵に描いた餅でしかありません。
では,毎月会議を開いて何を協議しているのか,協議するようなことがあるのか,という疑問が逆に向けられるでしょう。また,教育委員会との連携が密な恵まれた関係にあるのではということもありません。置かれた立場は同じです。気概として,何かを協議しないといけないから会議を開くという消極性を抜け出して,会議を開くから協議すべきことが浮き上がって来るという積極性を保っているだけです。議題を誰かが持ち込んでくれることを待っているから,干されてしまうのです。委員それぞれが情報を持ち寄ることで,協議すべきこと,協議したほうがよいことを探し出すことができます。その結果として,教育委員会への提言になったり,関係団体への働きかけになったり,社会教育計画書への反映になったり,いろんな形で情勢を動かそうという機能を持てるようになります。
もちろん,会長,代表の指導的な役割が不可欠です。会議の場に種を蒔かないと芽は出ません。種まき役がせっせと蒔いても,あっさりと穿られるだけに終わることもあります。それでいいのです。時期が熟していなかったというだけです。たとえば,男女参画についての活動を持ちかけても,乗り気になってくれないということがあります。身近な問題として熟していないからです。課題を知って考える時間を,会議という機会の中に挟み込むことです。会議は学びの場でもあるからです。会議をどのように取り仕切っていくか,それが会長,代表の果たすべき役割です。行政事務局提案を審議しようとする受け身の会議は,委員として恥ずかしいことです。
協議をする中では思いついた意見を発表して貰いますが,すべきであるという原則論に陥りがちなことに注意しておかなければなりません。提言とは原則論ではありません。可能性を求めることが大事です。もちろん中途半端という印象は免れませんが,一歩ずつ進展するということ,ある程度進められたら後は円滑に運ぶということ,それが物事の実現の形です。その道筋を見極めて辛抱強く運ぶのも会長,代表の役割です。継続的な会議だからできることです。
(2004年09月13日)
|
|
|