*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【委員の活動実践の経路?】

 16年度の全国社会教育研究大会は,10月27日から29日の会期で群馬県前橋市において開催されました。中越地震の影響を気遣いながら,飛行機,モノレール,上越新幹線,在来線と乗り継いでの参加でした。遠方からの参加旅費等が嵩むので参加される委員は各県あたり数人という程度ですが,それでも開催ブロックの参加があるせいか,2000人という大規模な研修会です。
 大枚な予算を掛けて参加する意味があるのかという費用対効果を危惧する声もありますが,参加すればそれなりの成果は得られます。確かにあっと驚くような内容を期待する向きには物足りなさや,いずこも同じという感想に留まるかもしれません。しかしながら,いずこも3割の成果を3割2分にしようという努力をしており,決して7割や9割といった高望みはしない堅実な歩みを見つけることができます。
 確かに社会教育委員でなければできないことであるということがあからさまには見えてこないのも事実です。たまたま社会教育委員でもあったという社会教育活動への寄与が発表されますが,それは委員が実践的な組織力を備えていない宿命だと思わざるを得ません。具体的な活動のできる仕組みにはなっていないのです。委員の活動はどちらかといえば根回し的な陰の役割が主体になります。
 委員は会議を開いて諮問や提言といった形での言い募る役回りなのです。そのような働きかけも実践化される保証はなく,聞き置かれることも珍しくありません。諮問書等が棚に並べられているだけという哀れな末路も見えてきます。いわゆる総論賛成各論反対という壁があることを見落としがちです。研究大会で紹介される事例はその壁を上手にすり抜けたものなのですが,その理由が当事者の熱意に負うところが大であるというのが実態です。決定権者の理解のお陰で実現された事例は,否応なく委員の無力さを思い知らされ,他力本願にすがる虚しさを感じさせてくれます。
 とはいえ,委員の果敢な働きがあるからこそ社会教育活動は動いていくということも実感します。どこに勘所があるのか,わずかな兆候を見つけようとする楽しさがあります。大事なキーワードは指針の提示です。活動の進む方向を見抜き,他の実践組織を先導できる指標を打ち立てることです。それが社会教育計画書の立案という法的な大義の実践形になります。表向きはその通りなのですが,それを可能にする信頼関係が行政や各団体との間に結ばれていて,リーダーシップを求められているという背景が不可欠です。決定権者から暗に委託されるというお墨付きがなくてはなりません。
 委員は選出基盤が学校関係者や他団体の代表などであり,それぞれが実践組織とつながっています。その自前の組織の活動が社会教育活動として認定されるために,社会教育委員というシンボルが利用されていると考えることもできます。委員の選出に関する規定を設けた意味合いがその辺りにあったかどうか分かりませんが,結果として委員による活動を実現するためには,縁を逆流せざるを得ないのです。いつまでもその縁に頼っていては,本来の姿が目覚めないままになることを憂えます。

(2004年11月03日)