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【積算の推進?】
新旧という区分けがあります。旧は無用であり新こそが価値あるものという簡単明瞭な論理です。進化や発展という考え方が基盤に座っています。歴史観としては,例えば,江戸時代は暗黒時代であり,明治時代は夜明けの時代という認識となります。大筋については,その通りなのでしょう。だからといって,すべてを否定し没し去るというのは無謀です。歴史は連続しているものだからです。
従来は,社会的な生活の形として,地縁や血縁というつながりが核になっていました。しかしながら今では,知縁や情報縁という結びつきが現れてきました。地縁は旧く,知縁は新しいということになり,古くさいものは消えていくべきであると考えられています。論理がそれほど簡単なら,社会活動について苦労はしません。どちらか一方を選択するという硬直した考え方は,連続性という大事な構築原理を不可能にします。改革ということを考える場合でも,旧を残しながら新を積み上げていくことが大切です。温故知新という言葉が生かされるようなゆとりのある認識が望まれます。
アナログを止めてディジタルに転換するという歩みがあるにしても,アナログでなければならない部分も残さざるを得ないのです。人が好きか嫌いかというバイナリー型の選択だけだとしたら,人間関係は成り立ちません。好きでも嫌いでもないことを含めて,とても好きから少し好きもあり得ます。人は所詮アナログでなければ生きられないのです。ディジタルとは人為的は尺度の上に成り立つ概念だからです。
世の中が進んで情報化社会になったら,人の体験や認知は間接的になります。しかし,間接体験は直接体験という基盤がなければ,意味をなしません。恋をした体験がなければ,恋愛小説は無意味になります。コツコツと手足を使う体験があるから,見たり聞いたりという刺激が仮想体験として認められるのです。
ものごとの価値を考える場合に,取捨選択という引き算手法も大事ですが,積算する手法をしっかり機能させておくべきです。不要品は惜しげもなく捨てるという暮らしぶりが間違っているという気付きは,資源という局面だけに限定されるものではありません。暮らし一般に,苦あれば楽ありという積み上げが忘れられ,楽だけを頂こうという浅ましさが蔓延っています。気に入った人とだけ付き合うという引き算が働くと,社会はギスギスとしてきます。あらゆる場面で足し算を機能させることが,社会活動の隠れた命題です。学社融合や老若融合,男女融合,異領域融合というキーワードは,その積算手法から派生してきます。
(2004年11月09日)
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