*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【不行き届きこそ?】

 かつて会長を務めていたPTAの総会が開かれ,来賓として招待を受けました。あいさつを依頼されたことについては,前号で触れておきました。ここでは,総会の中で気になったことを考えておきます。身内の恥となるようなことを曝すようで気が進まないのですが,こういうこともあるという事例として,他山の石としていただければという思いです。

 総会の恒例ですが,役員・委員の交代があります。新委員の紹介の折に,正副委員長の氏名を読み上げていきます。ところが,読みの難しい名前になって何て読むのだろうという空白の時間がたびたびありました。教えて欲しいという慌てた素振りが見えてしまい,とうとうもごもごと曖昧な読みですり抜けていきました。自分の名前をきちんと読んでもらえなかったら,寂しかったことでしょう。役割を担う者は自分のすることを弁えて,事前にチェックをすることが大事です。
 退任した役員への感謝状の贈呈が行われます。その贈呈のスタイルが気になりました。演台を挟んでの縦向きの贈呈でした。いかにも感謝してやるという印象を受けるので,普通には演台の前で横向きに並んで贈呈しています。実は昨年も同じようでしたので,それとなく耳打ちしていたのですが,伝わっていないようでした。総会という緊張の場に入って,細かな気遣いが漏れてしまったようです。
 PTAの本筋の流れではありませんが,この機会にというわけで総会終了前に,学校側から教育の取り組みに関する説明が行われました。資料を見ながらの説明でしたが,その肝心の資料が来賓には配られていませんでした。その間来賓はどうにも話について行けません。直接的には来賓には関係ないことかもしれませんが,来賓はほとんど地域の代表の方々です。地域の方に学校教育の情報公開をする得がたい機会でもあったはずです。聞いていただくという気持ちが伝わってこなかったのは,いかにも残念でした。評議員を委嘱されている身としては,とても恥ずかしい思いで席に座っておりました。後日きちんと申し出ておこうと考えています。

 家庭・学校・地域の連携ということが至る所で語られていますが,お互いを結びつける接点が貧弱であると日頃から感じていました。最大の原因はそれぞれが孤立しているということ,そのために情報を共有できていないことであり,結果としてお互いを分かり合えていないことなのです。自分はこういうことができるが,このことはできていない。あなたならできると思うがやってもらえないか。そんなコミュニケーションができたらいいのですが,皆さんどなたも,できているという情報しか発信されないので,手をつなぐ隙間がありません。できていないことを自発的に見せ合わない限り,連携は進むことがありません。限界を弁える余裕が求められます。

(2005年05月06日)