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【PTA総会での祝辞3?】
第53号,第72号の「PTA総会での祝辞」からさらに1年刻みが重なりました。今年も来賓祝辞の依頼がまいりました。総会直前のご依頼であり,お引き受けせざるを得ませんでした。前日にどんな話をするか,話材を探し,その場で決めようと気楽に望むことにしました。以下は,その再現です。
平成18年度の父母教師会の総会の開催,おめでとうございます。また,総会にお招きを頂きありがとうございます。PTAOBとして皆様にお話をする機会を頂き,うれしく思っております。折角の機会ですので,先輩として一つのメッセージをお届けしたいと思います。
虫の中に,鳴く虫がいます。セミやコオロギです。何故鳴くのでしょうか? どうして鳴いているのでしょうか? 私たちがカラオケを楽しむように,歌っているのでしょうか? そうではなくて,愛のメッセージです。雄と雌が出会いをするために,居場所を知らせるためです。ところで,よく見ていると,鳴くセミと鳴かないセミがいます。鳴くのは雄で,鳴かないのが雌です。雄が鳴いて雌が場所を分かれば,出会いの用は足ります。雌はなく必要はありません。鳴かなくてもいいだろうということで,雌は鳴かないのでしょうか? 雄のお腹は空洞になっていて,太鼓のように音が共鳴するようになっています。鳴く機能を備えています。一方で,雌のお腹は卵を抱くようにできています。鳴くことができないのです。こうして出会いと出産の機能をきちんと分化しています。
さて,子どもがセミのことを学校で学んで,家で話します。話を聞いたあと,「それで?」と尋ねることはないでしょうか? 「それがどうしたの?」という問を,子どもは想定していません。「こんなことが分かったよ」,と分かることの楽しさを伝えようとしています。「セミのことが分かったから,どうしたの」という対応ではなく,分かる喜びを聞き届けてください。「それがどうしたの」という発想を親がしていると,やがて子どもは「何のために勉強するの?」,「どうして学校に行かなければいけないのか?」という疑問にとらわれます。
勉強するのは,考える道を造るためです。セミのことが分かったというのは,道が通じたということです。いろんなことを分かることで,道がたくさんできます。できた道は他のことを考える道になります。勉強しないと考える道がわずかになり,行き止まりの道ばかりになります。何も考えることができません。
また,どうして学校に行かなければという問に,義務教育だからと答えると,それは間違いです。子どもは学ぶ権利を持っています。その権利を保障する義務は大人に課せられています。義務を感じるのは大人です。子どもが学んで分かる喜びを身につける権利を,大人は保障する義務があります。
子どもが育つことをきちんと支援する「育成力」を持つことが,大人の務めです。PTAでもさまざまな活動がなされます。それに対して「それで?」と役に立つかどうかを問い質す性急さにとらわれるのではなく,活動することで「育成の道」ができると考えて,大人としての義務を果たしていただくことが期待されています。そのようなお願いを皆様への先輩からのメッセージとしてお届けし,祝辞と致します。本日はおめでとうございます。
祝辞という定型からはかなり外れていますが,それが私流ですので,それを押し通しています。好ましくないなら,あいさつの依頼もなくなるでしょうから,それで判断しようと思っています。奇をてらうつもりはなく,ただ貴重な時間を少しでも意味のある内容で過ごしていただきたいと願っているだけです。子どもの育ちを支える力を持つためには,身近なことについて深くしっかりと理解しておく必要があります。なんとなくという程度では,支える力がいい加減になります。分かっているから真剣になれる,そんな経験を伝えておきたいと思っています。
(2006年04月30日)
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