*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【素人委員の苦悩?】


 社会教育委員が扱う問題には,青少年健全育成関係のものがあります。学社融合や家庭の教育力といった言葉が容赦なく向かってきます。それが当たり前となっていますが,実のところかなり専門的な意味合いのあるものです。門外漢にはイメージを持つことさえ困難です。教育力とは何なのか,そんな基本的なことから分かりません。訳が分からないまま,何かを語らなければならないというのは,冷や汗ものです。
 臆面もなくしたり顔で発言する勇気があったとしても,話し合いの中には入れずに,何かを言ったというだけに終わります。有り体に言えば,ピントが外れた発言は無視されてしまうということになります。表面上は「いろいろなご意見が出て有意義な話し合いになった」と結ばれますが,厳密には空回りをしたに過ぎません。
 社会教育法には,「教育委員会から委嘱を受けた青少年教育に関する特定の事項について,社会教育関係団体,社会教育指導者その他関係者に対し,助言と指導を与えることができる」とうたわれていますが,社会教育委員であれば誰でもできるとは限りません。そんなことを求められてもその分野に素養がなければ無理なのです。大人として親として幾ばくかのしつけをした経験に基づく程度の素養では,関係者への指導などという大それたことは思いもよりません。

 学校教育関係者としての委員は,学校のカリキュラムに慣れた思考が強くなります。それは既定のコースを追い掛けていくに過ぎません。一方で,社会教育には決まったカリキュラムがありません。大人すべてを対象に現実とリンクした教育を扱うのですから当然です。何を教育するかを自分で考えなければなりません。学校教育関係者といえども,簡単にこなせるものではありません。
 学識経験者としての委員は,普通には大学等の研究者をイメージしますが,社会教育関係の専門家が委員になるのは少ないでしょう。多くは,学識経験者と呼ばれることに面はゆい思いをする方が委員に委嘱されています。厳しい言い方をすれば,その他としての委員ということで,素人委員です。
 社会教育関係者としての委員は,団体や組織の代表が主です。一見社会教育委員として最適であると思われますが,実状はそうとばかりも言えません。いろいろな研修会が催されますが,そこで発表される事例は組織・団体の活動でしかありません。組織の代表者として自分の活動を発表しているので,たまたま社会教育委員であったということです。ということは,組織から抜け出した委員にはなれていないということです。団体の協議会における利益代表とは違うという意識が持てていません。
 家庭教育関係者としての委員は,追加された委員資格ですが,家庭教育という分野に相当する人とはどんな人かが必ずしも明確ではありません。子育て関係の団体などから選ばれているか,母親代表という形で活用されています。もちろん育成についての実践から得られる大事な知恵を提供してくださることでしょうが,社会教育計画という形に整えることまでは期待する方が無理でしょう。

 社会教育委員には,自治体全体の社会教育が期待されています。それは確かな目標に向けた計画づくりが社会教育法で委員の役割の第一に掲げられていることからも明らかです。個々の活動を総合的に結びつける広い視野が必要になります。その視野を共通に得るために,会議という場が不可欠になります。そこでの協議を積み上げていくことによって,委員は視野が広がり,ひいては教育力の全容を把握することができるはずです。素人はまとまることで力を得るのです。

(2006年12月08日)